趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
先日所用(といっても完全に遊びの用事ですが)で東京に行ったのですが、その用事が夜からだったため、昼間はあれやこれやと好き勝手に遊んでおりました。もっとも、ただ鉄道に乗るのが「遊び」と言うのかはわからないのですが。
京成電鉄のスカイライナーといえば、成田空港へのアクセス特急のパイオニアとして、昭和53年(1978年)の成田空港開港時から京成上野駅と成田空港駅の間を京成本線経由で運転されていた列車なのですが、平成22年(2010年)7月の成田スカイアクセス(京成成田空港線)開業にともなってスカイライナーがそちら経由となった際、従来の京成本線経由の特急列車を残すかたちで誕生したのが、シティライナー。その当初は7往復もあったのですが徐々に本数が減り、また昨年からは成田空港乗り入れも中止となり、現在では1日1往復が、京成上野駅と京成成田駅を結んでいます。
スカイライナーには、運転開始当初より専用車両であるAE形という電車が使われていたのですが、平成3年(1991年)3月の空港ターミナルビル直下への乗り入れ(ちなみにそれまでは現在の東成田駅が成田空港駅でした)に備えて、前年の平成2(1990年)年7月からはそれまでの6両編成から8両編成での運転されることとなりました。それでAE形は6両編成×7本を8両編成×5本に一部改造のうえ組み替えることになったのですが、不足する2本分については新型の車両を新製して充当することとなり誕生したのがこのAE100形。京成の新製車では初のVVVFインバータ制御方式となり、また将来都営地下鉄浅草線経由での京急羽田空港線乗り入れも考慮して前面には非常用貫通扉を設置。そして個人的に一番インパクトがあったのが、前照灯が昔のスーパーカーなどでお馴染みのリトラクタブルライト(といってもライト使用時に蓋が開く方式ですが)を採用するなど、京成の看板列車らしくかなり意欲的な車両として登場した記憶があります。で、全列車8両編成化よりも一足早い6月に運用を開始。その後、AE形を置き換えるなどして増備され(最終的には8両編成×7本に)、また平成13年(2001年)から15年にかけてはバリアフリー化やトイレの洋式化などのリニューアル工事を受けたのですが、平成22年(2010年)の成田スカイアクセス開業後には前述のシティライナー(ほぼ)専用となり、必要数も減少したため廃車が発生。現在では8両編成×3本が残っているようです。
じつは、シテイライナーの元になったスカイライナーと(初代)AE形電車って、小さかった頃たいそう憧れたんですよね。小学生に上がった頃に交通博物館で買って貰った下敷きに、当時の私鉄特急の正面写真がたくさん並んでいる物があったのですが、その中でもダントツに格好良く見えたのがAE形でした。また、京成線沿線には親戚が住んでいて何度かお泊まりしたことがあったり、家族で何度か上野動物園に行った際、鉄道好きの私のリクエストで京成上野から博物館動物園駅(現在は廃止)まで1駅だけ乗ったり(ただし、動物園の正門へはちょっと遠回りになるんですよね。)と、京成電車自体に結構親しみがあったというのも影響しているかもしれません。で、とうとうそのスカイライナーに乗れることになったのが、今から30年以上前である小学校5年生の頃。母親と東京に遊びに行った際に、成田空港見学にかこつけて乗せて貰ったのですが、実際に実物を間近に見ると、かなりキツく感じた先頭車のとんがり具合が格好良かったことや、マルーンとクリームの塗り分けラインが子供心にセンスが良く感じた事。また乗ってみても、転換クロスシートが並ぶ落ち着いた室内の感じ(しかもガラガラに空いていた)や、水洗トイレに流れる水が青くて薬臭かったことまでもが今でも強く印象に残っているというか。
と、話が逸れまくりになってしまったのですが、その初代AE形スカイライナーも前述のとおり代替わりとなり、新しくなった車両にもいつか乗ってみたいと思っていたのですが、車両の老朽化や乗客数の減少により、列車もろともいつ廃止されてもおかしくない状況になってしまっているようで。で、この日、冒頭に書いたとおり東京に来るついでにあれやこれやする際、ちょっと無理すればスケジュールに組み込めることが判明。とうとう乗ることができるというか。
【京成上野駅正面口】
【購入した乗車券・シティライナー券】
というわけで、始発の鈍行でJR上野駅へと向かい、前の記事で書いた朝食をいただいてから、そこからすぐの京成上野駅へ。それにしても、京成上野駅から列車に乗るのは30数年ぶり(ちなみに、降りたことは20年くらい前にある。)なのですが、この正面口の雰囲気は、当時と変わっていないかもしれません。そして窓口で、これから乗る予定のシティライナー81号のライナー券(と乗車券)を購入。それ程時間に余裕があるわけでもなかったので、早速改札口を通って入場しました。
【京成上野駅の駅名標】
【停車中のスカイライナー(AE形)】
【停車中の特急(3500形)】
【3500形側面のKeiseiのロゴ】
地下のホームに降りるとシティライナー81号はまだ入線していないようだったので、ちょっとだけ写真撮影タイム。現行のスカイライナー(AE形)って、間近で見るの初めてなんですよね。また、3500形も、登場時の姿は見たことがありますが、更新された姿を間近で見るのは確か初めてかもしれません。で、3500形の側面に掲げられたKeiseiのロゴを見て昔を思い出したというか、赤電の側面に切り抜き文字で貼ってあったこのロゴが、ものすごく格好良く見えたっけなぁ。
【入線するシティライナー81号(AE100形)】
【車両側面の方向幕】
【号車表示と京成のロゴ】
【AE133の車内】
【シート】
【発車を待つシティライナー81号】
そんなこんなしているうちにアナウンスがあり、午前8時52分頃、シティライナー81号がゆっくりと入線してきました。このAE100形も間近で見るのは初めてなのですが、パっと見、だいぶくたびれてしまいましたね。ちなみに、今回乗車するAE138編成は、平成3年6月(1991年)6月に東急車輛で製造され、その後平成14年(2002年)11月にリニューアル工事を受けたものです。そして出発時刻の10分前である午前8時53分頃、ドアが開いたので乗車。車内に足を踏み入れるとそのインテリアも今の感覚からしたら若干垢抜けない感じが。その一番の原因と思われるのは、前の座席の下に足を入れられない構造になっているリクライニングシートだと思われるのですが、当時はこれが当たり前だったんですよね。
やがて定刻の午前9時3分となり、各車両に数人ずつの乗客を乗せ発車。ちなみに他の乗客もほとんどが同好の士と思われます。それでこちらも指定された席に腰を落ち着けようとするも、その座席が生憎故障しているというか、リクライニングシートのストッパーが効かず、背もたれにちょっとでも体重が掛かると倒れようとしてしまい、背もたれに背中を付けないで座るか、一番倒した状態で体重をかけ続けるかしないと安定しないという状態で。そんな中、列車は地下の京成上野から廃止された博物館動物園駅の跡を通過して地上に。そして高架線へと登ってJR宇都宮線などをズラズラっと跨いで最初の停車駅である日暮里駅へ。ここっていつの間にか高架駅になっていたんですね。
日暮里駅を発車した後は、しばらくの間車窓に下町の風景が続いて青砥駅に停車するのですが、日暮里の手前で線路が地上に出たあたりから、同じ車両に乗車したオバサンが明らかに挙動不審というか、全車両座席指定の筈なのに、席をあちこち移っています。それを見て「特急券持ってないんじゃ」などと思っていたのですが、丁度この頃に女性の車掌さんが検札に来て、そこからは大人しく同じ席に座り続けていました。で、その車掌さんに、椅子が壊れているので席を移って良いか尋ねると、まず「たいへん申し訳ありません」と丁寧に謝ったあとで快く応じてくれました。もっとも、次の船橋まではお客さんが乗ってくるので、もし移った席にお客さんが来た場合は申し訳ないがまた移って欲しいとも頼まれましたが。なので席の移動は船橋を出てからとしてまた車窓へと目を向けると、下町を過ぎて都会だけども地方都市っぽい風景になってきました。
やがて最後の停車駅である京成船橋駅に到着。ここも高架駅になっていたんですね。それと前の青砥駅とこの船橋駅は、ドア扱いが8号車のみとなっていました。それで発車後、席を後ろに1つ移動。ちなみに、今回乗車した3号車は、途中駅での乗客は0でした。あとは、終点の成田まで30分弱の間、ひたすらAE100形電車の乗り味と車窓の風景を堪能。風景は地方都市から郊外へと移り変わっていきますが、その途中、建物が途切れて田んぼが一面に広がるあたりの景色は、30年以上前に初代スカイライナーに乗った時の記憶にも有るようなというか、船橋から先の区間はそれ以来の乗車になるんだよなぁ、と。その後、いきなり表れた風車に驚きつつも進み、沿線にまた建物が増え出すと、まもなく終点のアナウンス。そして定刻の午前10時、京成成田駅に到着しました。
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