趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
前の記事に続いての鉄道ネタとなりますが、石岡駅からJRの常磐線で友部駅まで移動した後、栃木に帰るべくそこから乗り換えたのが水戸線。個人的に水戸線に乗る機会ってそうそうないので、記録にとどめておくことに。
水戸線は、栃木県小山市の小山駅を起点に、茨城県笠間市の友部駅を結ぶ50.2kmの鉄道路線。起点と終点を含む駅数は16で、小山駅でJR東北本線と両毛線、途中の下館駅で真岡鐵道真岡線と関東鉄道常総線、終点の友部駅でJR常磐線と接続。全線単線で、小山駅-小田林駅の小山駅寄りのみ直流1500V、それ以外は交流20000Vで電化されています。
その歴史はかなり古く、明治22年(1889年)、小山駅から水戸駅を結ぶ水戸鉄道の路線として開業。当時、現在の常磐線にあたる路線は水戸駅まで到達していなかったようで。(明治28年 (1895年)になって友部駅まで延伸されました。)そして明治25年(1892年)、当時上野駅と青森駅などを結んでいた日本鉄道に買収されたのですが、明治39年(1906年)に施行された鉄道国有法により買収および国有化。明治42年(1909年)の線路名称制定時に、小山駅-友部駅間が水戸線と命名されました。ちなみにこの当時に付けられた路線名で、当時から区間の変更がない路線はかなり珍しいらしく、水戸線はその一つだそうです。
個人的には今から40年以上前、鉄道で遠出した初めての記憶の中に、当時水戸線を走っていた小豆色の403系低運転台車が小山駅に停まっていた記憶があるのですが、初めて乗ったのはその5年後くらいの夏休み(当時小学校高学年だった)に、私に乗り鉄という趣味を教えた祖母に連れられた旅行の最中だったことを覚えています。ただ車窓風景についてはその時の記憶がないというか、中学1年の夏休みに、当時仲が良かった友達と乗った時の景色に上書きされているのですが。で、その後、今に至るまで乗ったのは数えるほどなのですが、上京する際、東北本線(湘南新宿ライン、上野東京ライン含む)の列車の車窓から小山駅に停車中の水戸線の列車を何度となく見ていたお陰で、かれこれ20ん年以上も乗っていないにもかかわらず、妙に親しみがある路線だったりします。
そんな水戸線に、冒頭に書いたような経緯で乗ることに。
それで乗る列車は、友部駅が始発となる12時19分発の小山行き普通列車。ちなみに水戸線には大昔、上野駅から間々田駅を経由(小山駅は経由しない)して勝田駅とを結ぶ急行つくばね号や、近年では小山駅と水戸駅を結ぶ快速列車がわずかな期間走っていたのですが、ここ暫く前から普通列車のみの運転となっています。またそれに使われる車両は、E531系電車の5両編成。ちなみに水戸線は昭和42年(1967年)の電化以降、長らく403・415系電車が使われていたのですが、平成28年(2016年)3月のダイヤ改正で運用から離脱。それと平成19年(2007年)から使用されてきたE501系電車も平成30年(2018年)9月に運用を離脱し、それ以降は全列車がE531系電車5両編成での運転となっています。
E531系電車は5両編成のうち3両がドア間ボックス席のセミクロスシートとなっているのですが、どうせ乗るなら車窓から景色が見やすいボックス席が良いし、走行中はモーターの音を聞いていたいうことで、真ん中3両目のモハE531-5007という車両に乗車し、進行方向左側のボックス席に。なぜ左側かと言えば、筑波山を見たいから。実は以前、といっても20ん年以上前に水戸線に乗った時は全くもって意識などしていなかった筑波山なのですが、仕事で何度となく栃木から茨城に通った時に目にするうち、当地のランドマークとしてすっかり印象付いたんですよね。
さすがに平日のデイタイムとあって、私が乗った車両は各ボックスに1人2人いるかいないかという乗客を乗せて、列車は定刻に友部駅を発車。水戸線が西に向かって真っ直ぐ進むのに対して常磐線が南にカーブして遠ざかるという線形に、水戸線と常磐線の線路が引かれた経緯を思い出したりしたのですが、水戸線に入ると早速前方に筑波山系の山々が。いわゆる「筑波山」は寄り添うように連なる標高877mの女体山と標高871mの男体山を指すのですが、それ以外に低い山々が連なり筑波山系をなしています。で、遠くから見ると標高の低さから規模的にたいしたことがないように思ってしまうのですが、筑波山をクルマでドライブした時、その規模の大きさに驚いた記憶が。「雄大」とは違うというかそれよりも身近な大きさだと思うのですが、私の語彙力では適切に表現する言葉が見当たらないな、と。
少ない乗客を2つめの笠間駅でわりと減らし、更に西へ。福原駅を出ると笠間市から筑西市へと入り、列車は筑波山系に対して北側になるのですが、これまでよりも車窓に見える筑波山系は見る角度のお陰で塊感が出てきますね。その筑波山系は、山頂部付近が雲に覆われているのが残念!もっと言うと、この日は今にも雨が降り出しそうな空模様なのがほんと勿体ない!晴れていれば、収穫前の水田と筑波山の組み合わせがとてもきれいに見えたんじゃないかなぁと。それで一時は減った乗客も、羽黒駅から女子高生が沢山乗ってくるなどして増え、更に岩瀬駅でもホームに高校生が。ここで反対方向の列車と交換。で、駅に隣接する南側に、妙に空いたスペースがあるのですが、かつてここと土浦駅を筑波山の西側を通りつつ結び、昭和62年(1987年)に廃止となった筑波鉄道筑波線の駅跡地でしょうか。
【岩瀬駅-大和駅間にて】
【新治駅-下館駅間で小貝川を渡る】
【新治駅-下館駅間で五行川を渡る】
岩瀬駅を出ると筑波山系の山々は車窓後方へと移り、次の大和駅を過ぎて筑西市に入るくらいから沿線の地形も平坦になったような。で、ここから先は、関東平野の成り立ちにも関わるというか、個人的には栃木県から太平洋へと向かって流れる馴染み深い川をいくつか渡るのですが、まずは小貝川から。短いながらもクラシカルなトラス橋が良いですね。川を渡ってるという気にさせてくれます。そして立て続けに渡るのが、小貝川に合流する五行川。子供の頃、この五行川に入って怒られた記憶があるのですが、大人になってから、仕事やら消防団活動で、また何度か入る羽目になるとは……。
五行川を渡って程なく、水戸線の中間駅では最も乗降客数が多い下館駅に到着し、ここで乗客が一部入れ替わりました。また接続する関東鉄道常総線のディーゼルカーが停車しています。そしてここから先は、小山駅にに向かうにつれ、沿線に建物が増えていく感じになりますね。
【川島駅-東結城駅間で鬼怒川を渡る】
【川島駅-東結城駅間で田川を渡る】
【小田林駅発車直後】
その後、川島駅と東結城駅の間で渡る鬼怒川は、私にとってふるさとの川といえる存在だし、私に乗り鉄趣味を教えた祖母も、最期にこの鬼怒川を見てから逝きました。そしてその鬼怒川の支流となる田川を立て続けに渡って結城市へと入り、その中心駅である結城駅へ停車。先程来、駅に停車する度に、乗客は増える一方ですね。そして次の小田林駅は、工事現場などでよく見かける「スーパーハウス」の工場が隣接しており、そのスーパーハウスが2段に積まれ大量にある様はちょっと壮観でした。
小田林駅を出ると、次は終点の小山駅。その途中、架線を流れる電気が交流から直流に替わる「デッドセクション」という区間があり、昔の電車はそこを通過する際に室内灯が消えたりしたのですが、最新式ともいえるE531系はそのようなこともなく事もなげに通過し、定刻の13時20分、終点の小山駅15番ホームに到着。昔乗ったときには正直退屈した水戸線なのですが、歳を取っで時間の間隔が違ってきた今は、道中の約1時間を、全く退屈せずに過ごすことができました。
【小山駅の通称「10号そば」】
【いただいた生そうめんの冷やし麺370円+天ぷら100円+岩下の新生姜スライス100円】
蛇足ながら、小山駅で列車を降りた後は、12・13番線ホームにある立ち食いそば・うどんのスタンド、通称「10号そば」で、夏期限定で今年の販売期間がそろそろ終わる「生そうめんの冷やし麺」を。コシのある麺にキリっとしたツユ。そして追加したトッピングもバッチリで、これがまた旨かったんだよなぁ。
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