たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

臨時特急ニセコ号とJR北海道の特急型気動車乗車記 その2 【令和元年9月1~3日】

函館駅に停車中の臨時特急ニセコ号

 この記事のタイトルでもわかるとおり、今回の旅での乗り鉄最大の目的が、この記事で書く臨時特急ニセコ号。個人的にとても思い出深い列車で、この列車の存在を知ったことによって、今回の旅に乗り鉄成分を大幅に加えたと言っても過言ではなかったりします。

前記事の「その1」はこちら後記事の「その3」はこちら


ニセコ号とキハ183系気動車について

 まずはじめに、これから乗る臨時特急ニセコ号と、それに使われるキハ183系気動車について。ちなみにこの章は例によって乗るにあたりウィキペディアなどで調べたことをダラダラ書いただけですので、読まずに乗車記まですっ飛ばしていただいても。

ニセコ号について

 函館駅と札幌駅を結ぶ鉄道路線において、現在は、途中の長万部駅から太平洋側を通って東室蘭駅や千歳駅を経由するルートにのみしか直通列車が走っていませんが、かつては長万部から山を超え、日本海側の余市駅や小樽駅を経由するルートでも直通列車が多数運転されていました。

 北海道で最初の鉄道営業は明治13年(1880年)11月、小樽市内の手宮駅(現在は廃止)と札幌駅の間35.9kmがに開業したことで始まったのですが、その26年後の明治39年(1906年)には、小樽駅を経由する函館駅-札幌駅間の直通列車運転が開始になりました。一方、東室蘭駅を経由する直通列車は、戦後、日本に進駐してきた連合軍の専用列車として昭和21年(1946年)に運転を開始した列車がルーツで、それが一般の乗客に開放されたのは昭和27年のこと。しかし特急列車の運転は東室蘭駅経由の方が先で、昭和40年(1965年)11月に特急北斗号が運転を開始。小樽駅経由はその翌々年の昭和42年(1967年)3月に、特急北海号として運転を開始しました。

 ちょいと話が逸れましたが、小樽駅経由の函館駅-札幌駅間直通急行列車に「ニセコ」の愛称が与えられのは、昭和43年(1968年)10月に行われた、「ヨンサントオ」と呼ばれるダイヤ白紙改正でのこと。当時は気動車列車と客車列車があり、客車列車の方は蒸気機関車、しかもかつて特急つばめ号で活躍したC62型が重連で、また蒸気機関車が牽引する最後の急行列車として人気を博すことになりました。(蒸気機関車牽引は昭和46年に終了。)また運転区間も、一部に根室駅始発や釧路駅行きが設定されたのですが、昭和53年(1978年)10月のダイヤ改正で気動車列車客車列車各一往復づつとなり、運転区間も函館駅-札幌駅間に統一。そして昭和55年(1980年)10月のダイヤ改正では客車列車1往復のみの運転になったのですが、翌年の2月からは使用する客車が従来型(旧型)客車から、北海道向けに改造された14系特急型客車(座席車)に変更となりました。

 その後ニセコ号は、定期列車としては昭和61年(1986年)10月まで運転されたのですが、じつはその最後の頃、函館駅から札幌駅まで乗車したことがあるんですよね。しかも、生まれて初めての北海道旅行(更に言うなら初めての一人での長旅)ということもあり、私の北海道の第一印象として強く印象に。当時は函館駅を14時55分に出発して札幌駅到着が20時37分(所用時間5時間42分)というダイヤ。車内は気の毒なほど空いていて、廃止間近を実感しました。ちなみに定期列車としての運転終了後は、夏季のみ運転の臨時列車として平成5年(1993年)まで、気動車列車として運転されたようです。

 そんなニセコ号が臨時特急列車として復活したのが、平成27年(2015年)。それ以前から函館駅と札幌駅の間には東室蘭駅、通称「海線」経由で特急スーパー北斗号が多数運転され、所要時間も圧倒的に短いため、その補完列車という訳ではなく、函館本線の長万部駅からニセコ駅や余市駅、小樽駅を経由する通称「山線」沿線での観光を目的とした列車としての運転で、車両も当初はリゾート列車用に作られたキハ183系5000番代ニセコエクスプレス3両編成が使用されていました。しかしニセコエクスプレス車両が平成29年(2017年)に廃止となって以降は、キハ183系特急型気動車3両編成を使用。令和元年(2019年)度は、8月31日から9月16日までの週末を中心とした12日間の運転となっています。

キハ183系気動車について

 ついでに、この臨時特急ニセコ号で使用されるキハ183系気動車について。

 昭和36年(1961年)、北海道に初めて特急列車が走った時の車両はキハ80系(82系)だったのですが、経年劣化や酷寒地故のトラブルが発生していたので、その後継として北海道専用の特急型気動車として開発されたのがキハ183系。

 昭和54年(1979年)に先行試作車(900番代)12両が製造され、その翌年からそれを使用した各種試験が行われたあと、昭和56年(1981年)から0番代(基本番台)量産が開始。この基本番台は89両が製造されました。ちなみに走行用ディーゼルエンジンの出力は440PSで、新製時の運転最高速度は100km/hですが、のちに改造によって110km/hに。で、この0番代(900番代を含む)と呼ばれる初期製造グループは、スラントノーズの非貫通型高運転台を採用したスマートな前面形状で、個人的にとても格好良く見えましたね。また普通車のシートも、同時期に北海道向けに作られた781系特急型電車同様、それまでのプレーン型と呼ばれるタイプのシートからセミバゲットシートに代わり、一気に近代化した記憶が。ただ、近代化といえば良い点だけではなく、それまでの特急型気動車では製造された食堂車が無くなってしまったのはとても残念に思えました。

 その後の昭和61年(1986年)、間近に迫った国鉄の分割民営化に備え、経営基盤が脆弱な北海道、四国、九州向けに車両が新製されることとなったのですが、その時に登場したのがN183系とも呼ばれる500・1500番代。エンジン出力が550PSまで向上し、運転最高速度も当初110km/h、のちに120km/h(一部は更に130km/h)になりました。また外観も、側窓の普通車の大型化やグリーン車のハイデッカー化でかなり印象が変わったのですが、個人的には、前面形状は分割併合を意識した貫通型となってしまったことと、新たに採用された白地にパステルカラーの塗装が相まって、あまり格好良く思えなかった記憶があります。

 更に、函館本線での120km/h運転用に開発されたのが、NN183系とも呼ばれる550・1550番代。昭和63年(1988年)に普通車28両が新製されました。エンジン出力は660PSまで向上し、のちに130km/hまで運転最高速度が引き上げられたのですが、安全面と保守面を考慮してのちに120km/hに。また平成3年(1991年)には特急スーパーとかち用に、ダブルデッカーのグリーン車が4両新製されました。

 と、JR北海道の顔とも言える存在になったキハ183系ですが、経年劣化や後継車の新製によってその数を減らし、0番代は消滅。残ったN183系及びNN183系は現在、札幌駅と網走駅を結ぶ特急オホーツク号と、旭川駅と網走駅を結ぶ特急大雪号のほか、ニセコ号のような臨時列車にも使用されています。

実際に乗ってみる

 前述のとおり個人的に思い出の列車であるニセコ号に今回乗るわけなのですが、乗車券・指定席特急券については、事前にJR東日本の「えきねっと」で予約し、職場近くの某駅で購入済み。えきねっとで早めに予約すると「トクだ値」という割引を使えることがあるのですが、こういう少々特殊な列車だけあってその設定は無かった模様。よって、札幌までの運賃が5400円、指定席特急料金は2900円、合計8300円がかかるわけですが、まぁ、思い出に浸るための金額としては妥当なんじゃないでしょうか。

 それで先に乗った道南いさりび鉄道の列車から降りた後、一度改札口を出て、ニセコ号の乗車券・指定席特急券で改めて入場。こういう列車だけあって、入線を待つホームにはいかにも「鉄」な方々が集まっていたのですが、ホームの屋根近くに付けられたスピーカーにマイクを当てて録音している方がいたのには少々驚きました。(音鉄?「録り」鉄?)

【函館駅に入ってきた上り臨時特急ニセコ号】
函館駅に入ってきた上り臨時特急ニセコ号

 そんな中、13時40分に、札幌からの上りニセコ号が到着。どのくらいの乗客がいたのか気になったのですが、けっこうな乗車率でした。

【函館駅に停車中の臨時特急ニセコ号】
函館駅に停車中の臨時特急ニセコ号

 座席は指定席を確保していたし、折返しに伴う車内清掃のため乗車まで時間があったので、写真撮影がてら編成を1両づつチェック。

至 札幌駅
1号車(指定席) キハ183-1554
2号車(指定席) キハ182-507
3号車(自由席) キハ183-1501
至 函館駅

 その編成は、N183系とNN183系からなるキハ183系の3両編成。外板の塗装が一部剥げ落ちているのがちょっと寂しいです。

【1号車の行き先表示・号車札・席種札】
1号車の行き先表示・号車札・席種札
【1号車の車内】
1号車の車内
【1号車(普通車指定席)のシート】
1号車(普通車指定席)のシート

 そうこうしているうちに車内清掃が終わったので、早速乗車。車内に並ぶシートは足をシート下に入れられ、更にチケットホルダーが付いた新し目のものですが、天井周りの造りなどはどこか国鉄時代を思い出させる雰囲気がありますね。それで席は、指定席である1号車の、希望して取った進行方向右側の窓側となるA席。これから先の車窓を堪能する場合、個人的には右側の方が景色が良いと思うので。

【函館駅発車直後の車内】
函館駅発車直後の車内

 上り列車ほどの乗客は乗ってこず、定刻の13時58分、列車は函館駅を後に。わずか5分で次の五稜郭駅に停車後、改めてという感じで懐かしいチャイムと共に車内放送があったのですが、流石に観光用の列車だけあって、それっぽい放送内容でした。

 五稜郭駅を出た列車はさほど進まぬうち、七飯駅で信号待ちのため運転停車。そしてこのあと列車は、次の停車駅である新函館北斗駅に向けて進むのですが、このニセコ号を含む函館本線の優等列車(と貨物列車)は、以前は違うルートを通っていました。というのもこの列車が走る函館本線は、七飯駅から森駅の間、途中の大沼駅を経由して8の字を描くような(中央の交点が大沼駅)路線になっているのですが、七飯駅から大沼駅の間、下りの優等列車・貨物列車はそれ専用とも言える、勾配緩和のために敷かれた藤城(ふじしろ)線と呼ばれる支線を経由していました。これは私が急行ニセコ号に乗った時、藤城線の入り口にある立派な高架橋を登っていったことをハッキリ覚えているくらいなのですが、その藤城線は北海道新幹線との接続駅である新函館北斗駅を経由しないので、現在残った唯一の定期優等列車であるスーパー北斗号と臨時のこのニセコ号は、藤城線ではなく本線を経由します。(ちなみに、現在藤城線を経由する旅客列車は下り普通列車3本のみとなっています。)

【車窓から見た大沼】
車窓から見た大沼
【車窓から見た駒ケ岳その1】
車窓から見た駒ケ岳その1
【車窓から見た駒ケ岳その2】
車窓から見た駒ケ岳その2

 というわけで藤代線入り口にある立派なコンクリート製の高架橋を横目に進み、新函館北斗駅に停車。ホームにはこの列車を待っているのでしょうか、ホームにはパラパラと人がいました。その後、通過となる大沼駅から先、8の字区間の北側は、駒ケ岳の西側を通る本線と、東側を通る支線、通称砂原線に別れるところ、こちらは以前から現在も本線を経由します。で、小沼と大沼を見つつ進んだあと、赤井川駅で列車交換の運転停車となるのですが、この前後から進行方向右手には駒ケ岳が。列車の進行に合わせ刻々と姿を変えるその姿を、北海道に初めて来た時、当時は急行列車だったこのニセコ号に乗って見たのですが、ほんと、北海道の鮮烈なファーストインプレッションだったんですよね。そしてそれ以降、ここを通るたびに、その思い出込みで良い景色だなとしみじみ思います。

【森駅に停車】
森駅に停車
【車窓から見た内浦湾と駒ケ岳】
車窓から見た内浦湾と駒ケ岳

 その駒ケ岳に代わって内浦湾が車窓に現れると、森駅に停車。名物駅弁となった「いかめし」は、現在ホームでの立売が行われていないのが残念。ちなみにこのいかめし。以前、森駅のキオスク、たまたま作りたてのまだ温かいものを買えたのですが、今まで何度となく食べたいかめしとは別物の美味しさで、いたく感動した覚えがあります。で、その森駅を発車後は、次に停車する長万部駅まで、内浦湾に沿って。その内浦湾越しには駒ケ岳も見え、ほんと、良い景色ですね。

【長万部駅のホームでお出迎えするまんべくん】
長万部駅のホームでお出迎えするまんべくん

 函館駅を出発してから1時間49分、15時47分の定刻、ここから先、山を超えて進むため「山線」と呼ばれる函館本線と、海沿いを進むため「海線」と呼ばれる室蘭本線との分岐駅である長万部駅へ到着。ちなみに先程乗ったスーパー北斗2号の長万部駅-函館駅間の所要時間は1時間23分。表定速度(距離÷所要時間)にするとスーパー北斗の81.8km/hに対してこちらは61.8km/hと相当な鈍足なのですが、観光列車であるこの列車の速度を論じても仕方ないですし、個人的には、(時間的制約がない場合)同じ特急料金なら長く乗れたほうが幸せだったりして。その長万部駅では11分もの間停車。停車後すぐに列車から飛び出してダッシュで跨線橋駆け登った人は、名物駅弁である「かにめし」目当てでしょうかね。他にも、停車時間を利用してホームに降りた乗客がけっこういたようでした。またホームには、長万部町のゆるキャラ、まんべくんがお出迎え。このまんべくん、運営委託された中の人のツイッターでの過激な発言で炎上したことはよく覚えているのですが、委託解除後は別の人たちによって地道に活動されているようですね。

 長い停車時間の間に運転手が交代となって、列車は長万部駅を発車。かつて蒸気機関車が活躍していた時代、列車は長万部駅でいったん小休止し、その間に水タンクに給水、運転手も交代してこれからの峠越えに挑んだとのことですが、この停車と運転手交代がその名残のように感じて嬉しくなります。で、ここから小樽駅までの間、いくつかの峠を超えて行くことになり、早速軽くエンジンを吹かして最初の峠へと。そんな中、車窓から見える景色はトドマツ、エゾマツなどが生えた森林が多くなるのですが、その林相から北海道を実感するとともに、開けたところに生えている雑草のサイズも大きく、そこでまた北海道を実感するという。それにしても、今から三十数年前、個人的に北海道に初めて来た時に最初に乗った列車が急行ニセコ号で、その車窓から見た北海道の自然を実感する景色と、今見る景色の印象はほとんど変わらないのが凄いと思う一方、その間の自分の歳の取り方に、少々切なくなったりして。

【黒松内駅に到着】
黒松内駅に到着
【車窓から見た休耕地】
車窓から見た休耕地
【車窓から見た目名峠】
車窓から見た目名峠
【車窓から見た水田】
車窓から見た水田
【昆布駅に到着】
昆布駅に到着

 さほど苦もなく1つの峠をクリアすると、黒松内駅に停車。反対側のホームでは、子供がこの列車の写真を撮っていました。発車後は、山あいの休耕地と言った感じの景色のあと、再び峠越えへ。かつてSLが現役だった頃は有名な撮影ポイントだったという目名峠に、エンジンを吹かして挑んでいきます。もっとも、型は少々古いと言ってもパワフルなキハ183系気動車は、エンジン音で上り勾配とわかるものの、ここも苦もなくという感じで登ってしまうのですが、それよりもトンネルの短さや半径の小さいカーブに、この路線が建設された明治時代そのままの雰囲気を感じますね。やがてスノーシェッドを過ぎると線路は下り坂に変わり、やがて車窓には色づき始めた水田も。先程までの休耕地と対照的というか、個人的には以外に思ったのですが、このあたり、米どころになっているようで。

【昆布駅発車後の車内】
昆布駅発車後の車内

 それで個人的には、このあたりからが「山線」の車窓のハイライトだと思う区間。というのもここから倶知安駅の先までは、山線三度目の峠越えとなるのですが、その間、ニセコアンヌプリを始めとするニセコ連峰と、更に、蝦夷富士とも呼ばれる見事な成層火山(私が地理を習った頃には「コニーデ」と教わりましたが。)の羊蹄山を車窓から見ることができます。そんな中、列車は昆布駅に停車。先程の黒松内駅もこの昆布駅も、近くに観光施設があるんですね。そして昆布駅を出た列車は、ところどころエンジンを吹かしつつ徐々に高度を上げていきます。左手にはニセコ連峰の山々が所々良く見えるように。確か昔の北海道版の時刻表には車窓ガイドのようなものが付いていて、このニセコ連峰の山々の名前が乗っていたような記憶があるのですが、もっとも今は、スマートフォンで地図も見られるし、山の名前も調べられたりするという。(このあたり、auでも電波結構入るんですね。)

【ニセコ駅に静態保存された9600型蒸気機関車】
ニセコ駅に静態保存された9600型蒸気機関車
【ニセコ駅の駅名標】
ニセコ駅の駅名標
【ニセコ駅のホームから見たニセコアンヌプリ】
ニセコ駅のホームから見たニセコアンヌプリ

 そんな中列車は、ニセコ駅に到着。入線時、右側の車窓には、かつて蒸気機関車牽引のニセコ号を復活運転させた際に新得駅から移設したターンテーブルと、静態保存された9600型蒸気機関車(9643号)が見えました。で、ニセコと言えばバブルの頃はスキーリゾートというイメージでしたが、近年は外国人観光客に人気の観光地なんですね。7分停車の間にホームに降りてみると、この列車の乗客の他に、反対側のホームも観光客で賑わっていました。それでここからもニセコ連峰がよく見えるので駅名標と共にカメラに収め、再び乗車。列車には、新たに何人かの乗車があったのと同時に、地元観光協会の方が乗り込んできて、次の停車駅である倶知安駅までの間、地元特産品の車内販売が行われます。

【車窓から見た羊蹄山】
車窓から見た羊蹄山
【車内販売で購入した飲むヨーグルト】
車内販売で購入した飲むヨーグルト
【倶知安駅の駅名標】
倶知安駅の駅名標
【倶知安駅のホームから見た羊蹄山】
倶知安駅のホームから見た羊蹄山
【倶知安駅に停車中の臨時特急ニセコ号】
倶知安駅に停車中の臨時特急ニセコ号

 ニセコ駅から先は、左手のニセコ連峰よりも、右手に良く見えるようになる羊蹄山を堪能。それにしてもほんと、良い形の独立峰ですね。ただ少々残念なことに天辺付近は雲に覆われていたのですが、この羊蹄山、個人的に10回以上見ているにもかかわらず、頂上まできれいに見えた記憶はわずかしかなかったりして。そんな中回ってきた前述の車内販売で、飲むヨーグルトを購入。さっそくいただいたところ濃厚さとサッパリ感が調和してとても美味しかったですね。

【小沢駅で列車交換】
小沢駅で列車交換

 倶知安駅を出発した列車は長く続いた上り勾配から、一気に下る感じで3度目の峠越えを終え、列車交換のために小沢駅で運転停車。そして発車後は、細かくカーブしつつ山線4度目の峠越えとなる稲穂峠に向かって高度を上げていくのですが、進行方向右側の車窓は防雪林がずっと続くことに。サミットとなる稲穂トンネルを出て、また細かくカーブしつつ坂道を下り、車窓に果樹園が見えるようになると、ニッカウヰスキーで有名な余市駅に到着しました。余市駅を出る頃には外がだいぶ暗くなり、景色が見づらくなってきました。それで車内の様子は落ち着いたかといえば決してそうではなく、函館から乗っている、自席と先頭部を落ち着かずに往復してそのたびにスマートフォンで撮影しているおじさんと、ニセコ駅から乗ってきて、指定席にもかかわらず席を移りまくって外の景色を撮影しているお兄さんは、これが最後とばかりに撮りまくっている様子。趣味や仕事に没頭している時って、なかなか自分を客観視できなくなってしまいますよね。

【手稲駅発車後の車内】
手稲駅発車後の車内

 長万部駅を出発してから2時間40分、日もすっかり暮れた18時38分に、小樽駅へ到着。急行ニセコ号に乗ったときも、このあたりまで来ると真っ暗でしたっけ。それで10分停車する間に、先程まで動き回っていたおじさんとお兄さんなどが下車。代わって、多少の乗車もあったのですが、挙動からして明らかに指定席特急券をもっているか怪しい人も。これは次の停車駅、手稲で乗ってきた人たちも同じような感じでした。

【札幌駅に到着した臨時特急ニセコ号】
札幌駅に到着した臨時特急ニセコ号

 そして、五稜郭駅発車後に一度聞いた懐かしいチャイムの音とともに終着駅の案内放送があり、定刻の19時27分、札幌駅へ到着。函館駅から実に5時間29分。朝に乗った特急スーパー北斗2号と比べると3時間余計にかかったことになったのですが、そのあいだ初めて北海道に来た時のことを思い出しつつ乗る列車は、何とも良いものでありました。ありがとう、臨時特急ニセコ号。

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