趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
函館朝市を観光した後、次の予定である札幌行きの臨時特急ニセコ号に乗るまでには少々時間があったので、それまでどう過ごすか考えた時に思い浮かんだのが、平成28年(2016年)の北海道新幹線函館開業と共にJR北海道から経営分離された江差線の一部(五稜郭駅-木古内駅間)である道南いさりび鉄道。調べてみると終点の木古内駅まで往復できそうだっので、ちょっと乗ってみることにしました。
まずはじめに、これから乗る道南いさりび鉄道と、その前身となった国鉄(JR)江差線について。ちなこにこの章は例によって乗るにあたりウィキペディアなどで調べたことをダラダラ書いただけですので、読まずに乗車記まですっ飛ばしていただいても。
冒頭でも書いたとおり、平成28年(2016年)の北海道新幹線函館開業と共にJR北海道から経営分離された江差線の一部(五稜郭-木古内駅間)が道南いさりび鉄道となったのですが、その歴史は古く、明治42年(1909年)に函館の有志が当時、国有鉄道の管理を行っていた内閣鉄道院(のちの鉄道省)に建設を請願。上磯軽便線(ただし軌間は、日本の一般的鉄道と同じ1067mm)として1913年(大正2年)に五稜郭駅-上磯駅間が開業しました。その後昭和5年(1930年)に木古内駅まで延長。更に昭和11年(1936年)に江刺駅まで延長開業し、同時に路線名も江差線と改められました。
そんな江差線ですが、昭和24年(1949年)、日本国有鉄道に移管後、昭和30年代から50年代(1960年~1980年)にかけて線内に優等列車(当初は準急で後に急行)が運転されたこともあったのですが、この時期のローカル線の例に漏れずモータリゼーションの進展により旅客も貨物も減少。昭和43年(1968)に当時の国鉄諮問委員会から(路線としての)使命を終えたので廃止とすべき「赤字83線」の一つにも挙げられたほどでした。しかし青函トンネル開通に伴い、北海道側のアクセス路線として木古内駅-五稜郭駅間が整備され、国鉄分割民営化の翌年である昭和63年(1988年)3月、青函トンネルの営業開始と同時に愛称:津軽海峡線の一部として交流電化。貨物列車や、特急はつかり号、寝台特急北斗星号、快速海峡号など、本州と北海道を結ぶ列車が多数通過するようになりました。
しかし、元々は新幹線規格で建設された青函トンネル。建設中だった北海道新幹線開業が迫り、その後の江差線のありかたについて論議された際、一時は全区間で旅客列車を廃止してバス転換するといった方針が出されたものの、最終的には乗客数が少ない木古内駅-江差駅間のみ廃止してバス転換とし、木古内駅-五稜郭駅間は第三セクター方式で鉄道路線を維持することに。で、その第三セクターとして設立されたのが道南いさりび鉄道で、北海道が64.7%を保有する筆頭株主となり、以下(カッコ内は株式保有比率)第三セクター移管後も貨物列車を運行するJR貨物(10%)、沿線の北斗市(9.0%)、函館市と木古内町(3.6%)、ホクレン(1.7%)が株主となっています。
かような経緯で、北海道新幹線開業に先立ち平成27年(2015年)5月に木古内駅-江差駅間が廃止となり、翌平成28年(2016年)3月26日、北海道新幹線が開業した日に、五稜郭駅-木古内駅間37.8kmが道南いさりび鉄道に移管。路線の名称も道南いさりび鉄道線に改められました。また地上設備に加えて運行される車両もJR北海道より譲渡されることとなり、キハ40形1700番台気動車9両が移籍。うち2両は観光列車として運用できるよう、車両の塗装変更と内外装の小改造が実施されました。
その道南いさりび鉄道に今回乗ろうと思ったのですが、上り方面の全列車がJR北海道函館本線の函館駅から発車(余談ですが、青函連絡船の頃は函館が東京へ向かうための駅だったので函館発行きが上り、函館発が下り列車だったところ、青函トンネル開業後は木古内が東京へ向かうための駅となり上りと下りが逆転しました。)するので、スタートは函館駅から。改札口左手に1台だけぽつんと置かれた道南いさりび鉄道の自動券売機で、木古内までの乗車券を購入。木古内までの運賃は1110円でした。それで乗る予定の列車は函館駅10時40分発の木古内行き普通列車(ちなみに道南いさりび鉄道の旅客列車は全て普通列車)。発車まで30分近くあったのものの、既に列車はホームに入っているので入場してしまうことに。
【函館駅に停車中の木古内行き普通列車】
【函館⇔木古内のサボ】
【「ながまれ」のロゴ】
【隣のホームに入ってきた列車との並び】
2番線ホームに停車していた列車はキハ40形1700番代気動車の1両編成。都会から来た方は、単行(1両編成)列車を見て大げさに驚いたりするのでしょうが、北海道に限らずローカル線では当たり前な光景かと。それでその車両は観光列車「ながまれ号」にも使われるキハ40 1783。乗る前にその写真を撮っていると、上磯駅からの下り列車が隣の1番線ホームに到着。上磯駅からの列車は一般用の車両だったので、図らずともイベント用車両と一般用車両の並びが撮れました。ちなみに両車とも、車体側面にラインが引かれており、それが途中、上方に不規則な形で曲がっているのですが、よくよく見てみると、これって函館山を表したものだったんですね。
写真を撮った後乗り込んだイベント用車両は、一見すると一般用車両というか、見慣れたキハ40型の車内だったのですが、ボックスシートの窓下の部分に、イベント列車に利用する際に取り付けるテーブルを固定する金具が付いています。で、発車までまだ20分以上あったにもかかわらず、既にいくつかのボックスには先客が。その後もポツポツと乗客が集まってきて、各ボックスには1~3の乗客がいる状態に。更に、発車間際にいかにも観光客という一団が乗り込んできたのですが、既にボックス席には先客がいる状態だったので、不承不承という感じで前方のロングシートへと。そんなわけで満席とまではいかないものの結構な数の乗客を乗せた列車は、10時40分の定刻、ディーゼルカーならではのエンジン音の高鳴りと、液体変速機ならではのゆるい加速で函館駅を後に。ちなみにこの車両、冷房はかかっていないのですが、開け放たれた窓からは、エンジン音とともに涼しい風が飛び込んできます。そして5分程走って五稜郭駅に到着すると、ここでも数名の乗車がありました。
五稜郭駅を出発した列車は、軽く左にカーブを切ってJR函館本線と別れ、道南いさりび鉄道線へ。車窓には住宅地が広がり、そんな中、道南いさりび鉄道最初の停車駅である七重浜に到着。この近くには、以前何度か利用したことがある津軽海峡フェリーのターミナルがあるのですが、それと同時に、青函トンネル建設の一つの契機となった洞爺丸事故の現場があることが思い起こされます。(余談ですが、個人的に最後の乗船となった青函連絡船の船中、文庫本になっていた洞爺丸事故のドキュメンタリーを読んでしまい、冬場の激しい揺れと相まって自ら心胆寒からしめてしまったという。)で、ここでも数人の乗り降りがあったのですが、その後も駅ごとにそんな感じで海沿いの住宅地をしばらく進み、函館駅を出てから24分ほどで上磯駅に到着。現在は合併して北斗市になった旧上磯町の中心駅で、道南いさりび鉄道では運転本数の約半数(上りが9/20本、下りが9/18本)がこの駅を終着・始発駅としています。
そんな道南いさりび鉄道の主要駅ともいえる上磯駅では乗客が多少下車し、わずかな停車時間のあと発車。するとすぐ、太平洋セメント、元の浅野セメントの大きな工場を迂回するように進むのですが、これはこの江差線の前身となる上磯線の建設の経緯に関係しているとのこと。元々はこの工場からのセメント輸送を主な目的として建設されたので、この工場への専用線が終点の上磯駅から(物理的にも)まっすぐ繋がってたのですが、その後木古内駅方面に路線を延ばす際、それらを迂回するように線路を敷いたそうです。
その工場を過ぎてちょっと経つと左手に海が広がり、その向こうには函館山が。これまでは市街地を走ってきた列車は、ここから終点の木古内駅まで、途中の一部を除いて海沿いを走ります。で、当然、ここからが道南いさりび鉄道の車窓のハイライト。海に近いところでは、開け放たれた窓から潮の香りも飛び込んで来ました。ちなみに以前、この道南いさりび鉄道線と併走する国道228号線をクルマで走ったことがあるのですが、海沿いの景色は堪能できるものの、運転していると進行方向左手に見える函館山は見ることができないんですよね。なのでこの景色を堪能するために、道南いさりび鉄道に乗るというのは大いにアリなんじゃないかな、と。(助手席に乗れば良いじゃん、なんて切ないこと言わないで。)
そして乗務していた、若くてお美しい(って書くとセクハラになるんですかね。)女性の乗務員さんから、道南いさりび鉄道の写真と、中点の木古内駅がある木古内町のマスコット「キーコ」が描かれた乗車記念カードをいただいたのですが、ほんと、良い記念になりました。
そうこうしているうちに、函館駅から1時間6分、上磯駅から42分で、列車は終点の木古内駅に到着。広い構内にある小さなホームにちょこんと停まったような感じで、更にホームからは、新幹線の高架ホームがそびえ立つように見えました。また下車した乗客は、ほとんどが函館駅からの乗客で、地元の方というよりも観光客といった感じの方が多かったような。
個人的に、かつて青函トンネル開通前や開通後に旧江差線に乗った時、木古内駅へと降り立ったことはなかったのですが、駅舎を出た時、車内から見たからかつての印象とは全く違っていたことにびっくり。それと待合室が、プチ鉄道博物館状態になっていて、これから乗る臨時特急ニセコ号が定期の急行列車だった頃の愛称札といった、個人的に思い出の品展示されていたのは嬉しかったです。
【道の駅 みそぎの里 きこない】
【道の駅でいただいた塩ラーメン】
駅舎を出ると、目の前に停まっているバスがあったのですが、江差線廃止区間の代替となる江差方面行きでしょうか。ですがそれには乗らず、駅前広場を挟んだ向かい側にある道の駅みそぎの里きこないへ。木古内駅からは、乗ってきた列車の折返しとなる12時33分発の函館行きに乗る予定だったのですが、それまで47分もあったので、ここでちょっと時間を潰そうかと。で、思わずラーメンをいただいてしまったのですが、これがなかなか。それにしてもこの道の駅、なかなかに賑わっていますね。もっとも、来駅者の殆どは自家用車で来るようで、駐車場にはクルマがいっぱい停まっていました。
ラーメンをいただいてから駅に戻り、券売機で函館駅までの乗車券を購入しようと財布を開くと、1万円札しかない状態。道南いさりび鉄道の券売機は、回数券を買う時は高額紙幣も使えるのですが、片道乗車券を買う時は1000円札しか使えない仕様なんですね。で、ちょっと焦ったものの、たまたま待合室を掃除していたお姉さんに尋ねると、事務室で両替してくれるとのこと。
無事両替を済ませ切符を買ってからホームへ。それでこの列車の乗客は、私と同じ列車で来た物好きがほとんどだと勝手に思っていたのですが、実際に行きの列車に乗っていたであろう人は数人ほど。もっとも、車内は閑散としているわけではなく、発車時刻までにはそれなりに乗客が集まってきました。
12時33分の定刻、列車は木古内駅を後に。下り列車はほぼ駅ごとに乗客を増やしながら、函館駅へと向かいます。そして私は、また海の景色を堪能しました。
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