趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
台湾鉄道旅も、もう4日目。(ちなみに1日目、2日目前半、2日目後半、3日目前半、3日目後半。)今回の旅で乗るべき列車も、乗るべき路線も、残り少なくなってきてしまいました。
それでこの日は、早朝に台北を発ってそれらに乗りつつも、夜、あまり遅くない時間に台北に戻ってくる予定です。
※クリックで拡大(この絵に限らず当ブログの画像はクリックでだいたい拡大しますので。)
この日は、出発時刻を2通り考えていた。午前4時半に起きられれば、台北から台鉄で台湾高速鉄路(タイワンガオスーティエルー)の始発駅である南港(ナンガン)へと向かい、そこから6時15分発の高鉄803次列車に乗って南下。それが無理だった場合でも、午前5時半には起きて、台北から6時27分発の高鉄803次か6時30分発高鉄203次列車に乗る予定であった。
それで予定よりも少々早い午前4時過ぎに目が覚めた。二度寝してまた乗り遅れるのは嫌だから、身支度を調え出発。ホテルは窓の無い部屋で、起きた時に外の様子はわからなかったのだが、外に出ると、予報は雨だったにもかかわらず、雲は多いものの所々晴れ間も見えていた。
早朝ゆえ一部閉鎖されている台北駅の地下街で少しだけ迷ったものの、5時25分頃には改札口に来る事が出来た。
早速TR-PASSを使って入場しようとしたところ、改札口にいた駅員から使用日のスタンプが押される。やはり、改札口で貰うのが正解なのだろうか。そしてその駅員から、多分だが何処に行くのか訊ねられたので「ナンガン」と答えたところ、乗り場に降りる階段を指差して教えてくれた。
乗車するのは、台北からの縦貫線北行き一番列車となる、5時28分発の蘇澳行き4128次区間車。EMU500型の4両編成で、その先頭車に乗り込む。先程、地下街で迷って以降急ぎ足になった所為で、椅子に落ち着くとこめかみに汗が流れて落ちてきた。
10分程で南港駅に到着後、台鉄の改札口から出て高鉄の切符売り場へ。切符売場の窓口にはシャッターが降りていたので、自動券売機で切符を買おうとしたところ、発売開始は5時50分からだった。
券売機の前で暫し待機して、改めて切符の購入。使い方は事前に調べておいたので問題なく出来た。ちなみにこの自動券売機はフランス製なのだが、台湾高速鉄路は、建設開始時から政治的に翻弄され、ヨーロッパと日本のシステムが混在することになった結果が、この自動券売機にも現れている気がする。
というのも、国民党が与党だった当初は、その全てをフランスとドイツの欧州連合に発注されたものの、その後民進党が政権を取り、1998年に発生したドイツのICE事故の影響や、1999年の921大地震によって地震対策が叫ばれたことなどもあって日本が食い込みに成功。車両や信号など中核システムを受注したが、送電や通信システムはフランス製、本線部の軌道構造は8割が日本式だが2割はドイツ式で、レールはJIS規格だがポイント部分はドイツ製になるなどしている。
【南港駅の高鉄改札口付近】
【南港駅に停車中の左営行き803次列車】
【乗車した商務車の車内】
【商務車のシート】
構内にあったセブンイレブンで、朝食用に三明治(サンミンジー)と奶茶(ナイチャ)、日本式に言うとサンドイッチとミルクティーを購入してから乗り場へ向かうと、左営(ズォーイン)行きの803次は既に、第3月台に停車していた。
先頭車付近で写真を撮ってから乗車。車両は奮発して6号車の商務車(シャンウーチャー)、ビジネスクラスということになるが、車両のベースが日本の新幹線700系電車なので、グリーン車と言った方がしっくりくる。措定された座席は進行方向左側の窓際、番号は5Eだが、台鉄と違って高鉄の座席番号は日本の鉄道でもお馴染みの、数字とアルファベットを組み合わせたものとなっている。
【サービスの菓子とコーヒーとおしぼり】
【朝食に購入した三明治と奶茶】
列車は6時15分の定刻に南港を発車。さすがは商務車だけあって、程なく、美人で英語が堪能な女性乗務員から、飲み物と菓子、おしぼりのサービスがあった。飲み物はコーヒーと紅茶、菓子は甘い物としょっぱい物から選べたのだが、コーヒーとしょっぱい物を選択。丁度温かいコーヒーが欲しかったので、大変有り難い。菓子は鞄にしまって、先程購入したサンドイッチと共にいただいた。
ちなみにそのサンドイッチ。包装には「紐奥良風味鮮蔬烤雞」と書かれていたのだが、「鮮蔬」は新鮮野菜、「烤雞」はローストチキンというのはわかるものの、「紐奥良」が不明で暫し悩む。最後は台湾セブンイレブンのウェブサイトを自動翻訳すると「ニューオーリンズ」となったのだが、味的にはタンドリーチキンというか、スパイスが効いた焼き鳥であった。
【車窓から見た地上に出たあたりの景色】
【車窓から見た台中駅手前あたりの景色】
列車は南港を出発してから暫くの間、地下を走る。この列車は途中駅の全てに停車する「各站停車」だが、南港発車時は私1人だった商務車の乗客は、台北、板橋と停車する毎に増え、半分くらい席が埋まる。
板橋を出発後は地上へ出たものの、すぐトンネルに入ったりする。車窓には、宅地と農地が混在した景色が広がっているのだが、桃園手前で見かけた水田は、稲刈りして少し経ったような感じであった。
桃園では、桃園国際空港の利用者と思われるスーツケース持った人が大量に乗車して、ほぼ満席に。私の隣には、眼鏡をかけた小学生くらいの女の子が座ったのだが、通路を挟んだ向かい側に座った父親の服装は、いかにも裕福そうだ。
その後列車は山勝ちの地形を、短いトンネルで直線的に進む。やがて視界が開けて、沿線の建物が増えてきたと思ったら、定刻の7時32分、台中に到着。一昨日の分と合わせて、台湾高速鉄路全線に乗ったことになるが、出来れば一本の列車で乗り通したかったとのいうのが、正直なところ。その台中では、かなりの数の乗客が下車した。
台中で降りたあとは、台鉄の新烏日(シンウーリー)駅へ。一昨日とは逆だがここでの乗り換えは2度目とあって迷う事無く最短距離を進むことが出来、7時41分発の彰化(ジャンファ)行き2109次区間車に乗る事が出来た。第1月台に入線してきたのは、台湾に来て以来すっかりお馴染みとなった感のあるEMU800型8両編成だ。
次の駅は、一昨日、まさかの乗り間違いをしてしまった成功(チェンゴン)。この辺の水田は、稲が出穂しているようだ。一昨日以来いろいろな水田を見てきたが、台湾では田植えと稲刈りの時期は、地域によって相当ばらつきがあるのだろうか。
そして次が終点の彰化。雲は多いものの、列車から降りると、午前8時前だというのに既に暑かった。
彰化から乗車するのは、ここが始発となる縦貫線・屏東線経由の潮州行き167次自強号。それでこの列車も、実は今回の旅の中で是非とも乗りたい列車の一つであった。
その理由は、一昨日に台北とこの彰化の間を乗った109次自強号と似たようなもので、この列車に使われているEMU1200型という電車に是非とも乗りたかったから、というもの。元々は1987年に、南アフリカのUCW社製EMU200型電車として導入されたものなのだが、今後しばらくは自強号として使用を続けるため、2003年に更新を兼ねた改造工事が行われる事となり、貫通型だった正面を非貫通型にし、3両固定編成だったのを9両固定編成に、また塗装も大幅に変更されたのだが、その際、型式もEMU1200型と改められた。
現在は、彰化以南を走る1日1往復の自強号にのみ使用される珍しい存在となってしまったのだが、それに加えてこの車両は、109次自強号で使用されているEMU300型電車同様、モーターの動力を車輪に伝える駆動方式が「吊り掛け駆動方式」を採用しているところも、私のような物好きを喜ばせるところである。
ちなみに鉄路迷(ティエルーメイ)こと台湾の鉄道ファンには、その塗装から「赤いシマウマ」を意味する「紅斑馬」と呼ばれているそうだ。
そのEMU1200型が使われているのが、これから乗車する167次自強号なのだが、この日の行程は、この列車を乗る事を中心に組まれたと言っても過言ではなかったりする。
【彰化駅に停車中の潮州行き167次自強号】
【潮州行き167次自強号の乗降口付近】
【167次自強号の彰化駅発車前の車内】
駅待合室のクーラーは付いていなかったので、風が通るホームの日陰で待つ事暫し、第1月台にEMU1200型が入線してきた。
早速正面の写真を撮った後、指定された7車41号の自席へ。進行方向左の窓側だ。一昨日EMU300型に乗った時はモーターの付いていない車両で残念な思いをしたのだが、この列車はモーターの付いた車両に当たったのが嬉しい。
発車までまだ時間があったので、席に上着だけ置いたあと、編成の先頭から最後尾までひととおり見て回る。その後席に戻ると、通路側の席には青年が座っていた。
8時34分の定刻、列車は彰化を後に。発車時点で席は3、4割程度埋まっている。
発車して程なく、隣の青年が話しかけてきた。これから台南に住むガールフレンドに会いに行くという。
私が日本人である事を確認した後、「日本が好き」だと言ってくれたのが嬉しくも有り難くもあるのだが、どこが好きかと訊ねると、主に日本の食べ物であった。確かに台湾に来て以来、街中には日本の牛丼チェーン店などがあり、昨夜、ちょっとだけ立ち寄って結局何も食べなかった台北駅2階のレストラン街には日本ブランドの日本食店も数多くあった。更に、大きな駅には必ずと言って良いほど、当地ブランドの「争鮮 SUSHI EXPRESS」というテイクアウト寿司店が入っているなど、今時の台湾では、日本食がとても身近な存在なのであろう。
次に私から、「台湾の食べ物は美味しい」という話をしたら、真っ先に「臭豆腐?」と訊かれたのだが、一種のお約束なのだろうか。台湾に来て初日に食べた臭豆腐の写真を見せ、「ハオツー」と言ったら、青年は少々驚いた様子だったのだが。
その後も会話を試みるも、青年はわりと普通に英語を喋るものの、私は片言以下とあってとても苦労する。
10分程で青年との会話が終わったのを機に、167次自強号とEMU1200型電車の乗り味を堪能する。彰化を出る時に「おや」と思い、次の停車駅である員林(リュエンリン)発車時にハッキリと気が付いたのだが、一昨日のEMU300型よりも、こちらの方が吊り掛け駆動独特の音がわかりやすい。発車時は「ゴロゴローーーーー」という音が、速度を上げるに従って「ムオオオオーーーン」と唸るように変化する。もっとも、グレードの高い自強号用の車両とあって遮音は良く、意識して聴かないと判らない程度だが。
また乗り心地は「滑るように」とはいかないものの、悪くない。昨日乗った普悠瑪(プユマ)号や太魯閣(タロコ)号とは違う重厚感のようなものがあるが、ただ単に車体が重いからだけかもしれぬ。それでもときおり上下に跳ねるが、逆に目一杯飛ばしている感があって嬉しくなる。
【車窓から見た水田】
【車窓から見た嘉義駅】
【車窓から見た水田とバナナ、サトウキビ畑】
そのうち列車は、一昨日乗った集集線が分岐する二水(アーシュイ)駅を通過し、未乗の区間へ。ただ車窓から見える景色は、旅も4日目とあってすっかり見慣れた台湾平野部の風景が相変わらず続いている。駅周辺はコンクリート造の建物が建ち並び、その間に広がる農地は、水田が多いだろうか。
次の停車駅である斗六(ドゥリュー)には1分の遅れで到着したが、発車は定刻。その際やはり、吊り掛け駆動独特の音が感じられる。
その次に停車するのは、「阿里山森林鉄路」(アーリーシャンセンリンティエルー)の始発駅である嘉義(チャーイ)。一部区間が運休中だったため今回の旅では乗るのを見送った路線だが、復旧した暁には乗りに来たい。また嘉義は、北回帰線が通る街でもある。一昨日は高鉄で一瞬にして通り過ぎてしまい、日本の新幹線的に見えた景色と相まってそんな感慨は湧かなかったのだが、改めて台鉄で通ると、ここからが熱帯だなと思う。
このあたり、車窓から見える農地は、水田の他、バナナなどの果樹、それとサトウキビ畑もある。熱帯ということでより「らしく」見えるが、中でもサトウキビについては、それを運ぶ製糖会社の路線が、かつては嘉義から延びていたとのことである。
そういえばこの自強号、車掌が女性であった。その所為かは判らないが、室温が丁度良い。今回の旅で乗った台鉄の列車は、これまで、どの列車も冷房が良く効き、うち半分くらいは効き過ぎている気がしたが、ここまで丁度良かったのは初めてだと思う。
また車掌とは対照的に、車内販売は中年の男性が行っていた。早朝にサンドイッチを食べただけなので、この時かなり空腹だったのだが、思うところあって購入は控える。
そうこうしているうち、列車は私が降りる台南に近づいてきた。彰化発車時に空席が目立っていた車内はいつしか満席近くなっている。降り際に、隣席の青年と「再見」、「Have a nice trip.」などと久しぶりに言葉を交わして別れた。
【台南駅に停車中の沙崙行き3723次区間車】
【EMU600型電車の車内】
本当は終点まで乗りたかった167次自強号を台南で降りたのは、ここから3つばかり南に行った中州(ジョンジョウ)から分岐する、沙崙(シャールン)線に乗るため。
今朝乗り換えた高鉄の台中など、高鉄の駅は市街地から外れたところに作られたものが多いのだが、台南もその一つで、そのためのアクセス路線として2011年に開業した路線である。
全ての列車が台南及びそれ以北の縦貫線と直通運転がなされており、今度の列車は台南始発となる10時37分発、沙崙行き3723次区間車。列車は既に、自強号から降りた反対側の第2B月台に停車していたが、まだ乗車可能にはなっていなかった。
4両編成の車両は、一見すると、これまで何度か乗ったEMU500型と同じように見えるのだが、その後継車となる、韓国ロテム社製のEMU600型という型式だった。ドアが開いたので乗り込んだが、シートの表面が、EMU500型のビニール張りに対してこちらは布製となっている。
やがて定刻となり発車すると、しばらくは縦貫線を走行。車内は混雑しておらず、立っている人は誰も居なかった。
中州を発車するとすぐに高架線に登り、ぐいっと左にカーブ。進路を南から西へと変える。高架線の下は水田が広がっている。
高速道路を跨いで進むと沙崙線唯一の中間駅である長栄大学に停車。反対方向の列車と交換した。いかにも大学生らしい年格好の乗客が少しばかり乗り降りして発車。
その後、相変わらず高架線を進むが、再びぐいっと左にカーブ。今度は進路を北に変え高鉄の路線と並行すると、程なくして終点の沙崙に到着。台南から23分、中州から10分と、あっけなく終わってしまった。
沙崙駅と高鉄の台南駅での乗換だが、列車を降りてまっすぐ進むだけで高鉄の乗り場に到着。あらかじめ高鉄の切符を用意していればそのまま高鉄の改札口を通れたのだが、生憎持っていないので、一度1階に降りて自動券売機で台中までの切符を購入。
ついでに、コンコースの出店で「高鉄弁当」(カオティエビェンタン)も購入。台鉄に「台鉄弁当」があるように、高鉄にも「高鉄弁当」というものがあるのだが、是非とも食べてみたいと思っていたので丁度良かった。それにしても、弁当の売り子をしている若い女性だが、美人でとても愛想良し。私が若ければ、並んでいた「ポークカツ」、「チキンカツ」、精進料理の「素食」という3種類の弁当を全て買ったかもしれぬ。
【高鉄弁当「香滷肉排」のパッケージ】
【高鉄弁当「香滷肉排」の中身】
高鉄の台南からは、南港行き630次列車に。乗るのは短い区間だが、念のため指定席を購入した。その席に座り、早速先程買った弁当を開く。3種類の中から選んだのは、台湾をかたどったプレートに「香滷肉排」と書かれていた「台湾風ポークカツ弁当」。ちなみに弁当はどれも1つ100元であった
メインのおかずは品名のとおり大きなポークカツ。揚げてから煮て味を付けられており、香辛料がピリッと効いているが、独特な八角の香りは少なく、これは旨かった。それと、味付け卵が半個入っていた他、野菜類がキンピラ的煮物に雪菜、薄味のキャベツに青菜、そして温野菜的カボチャ、パブリカ、ニンジンと種類豊富。高鉄弁当は登場以来何度か全面的に変更されたそうだが、これはその必要がないくらいの品に思われた。
その弁当を食べている最中、窓の外は晴れているのに雨がガラスを叩くという天気。食べ終わったあと一休みしていたら、降りる予定の台中だった。
【(高鉄)台中駅コンコースのレストランのごく一部(1)】
【(高鉄)台中駅コンコースのレストランのごく一部(2)】
今朝、高鉄から台鉄に乗り換えた台中・新烏日駅に、昼にまた、今度は台鉄に乗り換えるために高鉄で戻ってくるという、普通の人にしてみれば少々訳がわからぬことになっているとは思うのだが、今日は乗りたい列車と未だ乗っていない路線に乗るため、このような事になった。
次に乗る列車まで30分以上あったので、下車した後、冷房の入っていたコンコースで、暫しの間待つ事に。それにしてもこのコンコースには、「モスバーガー」、「まいどおおきに食堂(台中高鐵食堂)」、「丸亀製麺」、「大戸屋」、「山崎パン」という日本ブランドの店が多数あるのだが、それらに混ざってある唯一の当地ブランドのお店が「争鮮 SUSHI EXPRESS」の回転寿司店なのが、何とも。
頃合いになったので台鉄の新烏日駅に移動。次に乗るのは、新烏日12時36分発の台中線(山線)・縦貫線経由の新竹行き2184次区間車。EMU800型電車の8両編成だった。
前から5両目に乗車し、空いていたクロスシートに座る。この列車も冷房が効き過ぎていたので、今日これまで出番が無くバッグにしまわれたままだったジャケットを取り出して着る。
約2分遅れて発車したが、その遅れを取り戻すかのような走りぶり。特に大慶(ダーチン)から豊原(フォンユェン)の間は2016年に連続立体交差化された区間で、レールも継ぎ目が無いロングレールになっているため、区間車とはいえ飛ぶように快走する。その豊原は1998年に廃止された東勢線が分岐していた。
車内は席が埋まるがさほど混んでいないという乗車率だが、台中から乗ってきた幼い子供が、ピコピコと音が出るサンダルを履いて元気にはしゃいでいるので賑やかだ。その様子を見て注意するでもなく、逆に目を細めているのは祖母だろうか。
豊原を出て高架線から地上に降りると景色が台中の都市圏を出たことを思わせる。一昨日乗り間違って来た后里(ホウリー)を出ると失礼だが「田舎じみた」という形容詞が似合うような景色が広がった。再び高架線を登ったところにある泰安(タイアン)の駅周辺は農地ばかりだったのだが、もっともこれは、1998年に山線が新線に切り替ええられた際に設けられた新しい駅ということが理由であろう。駅のまわりが街になるということは、通常、長く時間がかかるものだ。よく見ると、農地の中に、真新しい建物も出来ているではないか。
泰安を出ると新線切替の際に掘られた長いトンネルを潜り、出たとこにあるのが三義(サンイー)。山間の小都市といった雰囲気の駅。ここから分岐する、新線切替前の路線である「旧山線」は、2010年から観光鉄道として復活し、蒸気機関車も運行されていたそうだが、僅か2年で休止となってしまった。
三義ではしゃいでいた子供が降り、車内は途端に静かになった。そのためか、外を眺めるうちに眠ってしまったらしい。人の気配で目を覚ますと、車掌が検札に来ていた。
その後もトロトロしつつ車窓を眺めるが、いつしか列車は竹南(ジューナン)から縦貫線に入り、いつしか終点の新竹(シンチュー)に到着した。
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