趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
台東車站は、人口10万人以上を抱える台東市の名を冠しているが、台東の市街地はここから5km程海側に向かった沿岸部にあり、旧駅と呼ばれる元々の台東車站もその市街地にあった。
その理由は、これから乗ることになる台東線の歴史にも関係してくるのだが、台湾東部の鉄道については1970年代まで、花蓮港(ファーリェンガン)と台東(旧駅)の間に、他の鉄道路線とは独立した1926年開通の、軌間、レールの幅が762mmと他の台鉄路線1062mmよりも狭いナローゲージの台東線が有るのみであった。
それが1980年に北廻(ペイホェイ)線が全通したことにより宜蘭(イーラン)線と繋がり、更には1982年に台東線が1062mmに改軌したことにより台北方面からの直通列車が走るようになったが、その際、台東(旧駅)の手前の鹿野(ルーイェー)と馬蘭(マーラン)の間が新しい路線に切り替えられ、中間には山里(シャンリー)、卑南(ベイナン)の2駅が新設された。
そして1985年、台東線のと屏東線を結ぶ南廻線が部分開業した際、卑南が両路線の接続駅とされ、1991年の台東線全通に際しては、駅名が卑南から台東新と改められたのだが、更に2001年、鹿野と台東(旧駅)の区間が廃止されたことに伴い、台東新から台東に改称された。
というわけで鉄道の駅としては比較的新しい現在の台東車站であるが、当初より南廻線との接続駅となることを見越して作られたのか、車両基地を併設した駅構内は大変広く、またターミナル駅らしく、ホームも島式のものが3面6線と多い。
列車を降りた後、一度改札口から出て、次に乗る列車の乗車券で入場。台鉄では宜蘭線、北廻線及び台東線を合わせて「東部幹線」と呼称するが、その東部幹線の列車の指定席は、平日であっても混雑のため取りづらいとの話であったので、乗車日の2週間前となる発売日に、日本からインターネットで予約したものを、昨日の朝、台北駅の自動券売機で受け取ったものだ。
それにしても、先程普快車を降りて以来、改札口から出たり、ホームで列車の写真を撮ったりするためにうろうろしていたら、ものすごい汗が噴き出してきた。真夏の台湾は暑いのが当たり前なので、初日を除いていちいち「暑い」とは書かなかったのだが、これは書いても良いくらいの暑さに感じる。
今度乗る列車は、既に第3B月台に停車中だったが、車内清掃中で乗車できないようであった。その列車とは、14時00分台東始発の、台東線・北廻線・宜蘭線・縦貫線経由、樹林(シューリン)行き425次、普悠瑪(プユマ)号。
この普悠瑪号というのは、2013年から営業運転を開始したTEMU2000型電車で運行される自強号に付けられた愛称で、カーブの際に台車の空気バネを利用して車両を傾ける「車体傾斜装置」を採用するなどした結果、従来の自強号用車両よりも10km/h程速い営業最高速度140km/hを達成している。
また一般的な自強号で認められる自願無座が認められておらず、座席指定を受けないで乗車した場合は罰金を取られるなど、少々特別な列車となっている。
ちなみに「普悠瑪」とは公募で決められた愛称なのだが、現在は台東市に編入された卑南郷付近の原住民「プユマ族」と、原住民の言葉である卑南語の「集合・団結」を表しているそうだ。
まだ乗れないので、更に汗を流しつつ写真撮影がてら停まっている列車をつぶさに観察するのだが、なかなかにシャープな外観でいかにも速そうだ。また列車は紅白に塗り分けられているのだが、正面中央部分に塗られた赤色の面積が多いため、どことなく猿を連想させる顔立ちである。なお当地の鉄路迷(ティエルーメイ)、日本で言うところの鉄道ファンからも、赤ら顔した鴨のノバリケンを意味する「紅面番鴨」や、そのものズバリの「猿顔」などと呼ばれているらしい。
その後車内清掃が終わったのか、ホームには特にアナウンスがあった記憶は無いのだが、発車時刻の20分くらい前になってなんとなく乗車開始。先程かいた汗があまりにもひどいので、トイレで上半身だけ換えのTシャツに着替えた。
やがて列車は定刻となり発車。切符で指定された車両は、8両編成の後ろから3両目となる6車。台東発車時点では、席が半分くらい埋まる程度と、あまり混雑していないようである。
座席番号は、車両の一番後ろ、進行方向右の海側の窓側となる1号だ。もっとも台東線は、中央山脈と海岸山脈の間に出来た花東縦谷を進むので、残念ながら海は見えないのだが。加えて席が、1両に2箇所ある上部が開閉可能な窓に当たってしまい、その為の横桟が視界を邪魔して景色が見づらい。更に車端部だけあってかなり揺れる。それでも、初めて乗る列車というのはとても浮かれるものだ。ましてや、台湾の列車である。上機嫌で、見づらい窓から外の景色を眺める。
列車は、最高速度140km/hを誇るTEMU2000型電車の性能をフルに生かさず、マメに停車しながら走る。台東から花蓮(ファーリェン)までの台東線は、区間車よりも自強号、莒光号を合わせた優等列車の方が圧倒的に本数が多いが、沿線人口が少なく、従って台東線内の区間乗車が少ないからだろうか。
ただこの台東線が通る花東縦谷は台湾でも有数の耕作地で、特にこの列車も停車する池上(チーシャン)付近は有名な米どころとして知られている。またその米を使い、かつては駅売りもされていた「池上弁当」(チーシャンビェンタン)は当地の名物にもなっており、是非とも食べてみたかったのだが、今回はスケジュールの都合で泣く泣く見送った。
少し前の日本のような田園景色を見ながら眠ってしまったようで、気が付くと列車は光復(グァンフー)に停車していた。駅には、観光PRのため台湾原住民の写真が飾られている。台東線が走る花東縦谷は、元々アミ族などの台湾原住民族が暮らしていたが、現在も残るアミ族最大の部落「太巴塱」(タパロン)の最寄り駅は、ここ光復とのことである。
またいつしか列車は遅れが出ていた。全線の2割しか複線化されていない台東線であるが、台東線に限らず単線区間では、1本の列車が遅れた場合、追い越しだけではなくすれ違う列車にも影響が及ぶためダイヤが乱れやすい。特に台東線は、台北方面に直通するなど長距離を走る列車が多数走っているので、尚更であろう。
その影響か、萬栄(ワンロン)をゆっくり通過し、その後あまり速度を上げずに鳳林(フォンリン)まで走った。
その後もダイヤの小さな乱れは続き、約6分遅れで花蓮に到着。ここで、後続の列車に乗り換える。このまま乗り続けても、この先、乗る予定の路線が分岐する駅には、この普悠瑪号が停車しないからだ。
この花蓮だが、開設当時の駅名は花蓮新(ファーリェンシン)と言い、元々の花蓮駅(旧駅)は海沿いの別の場所にあった。
駅の名前が変わった経緯も台東と少々似たような感じで、1980年に宜蘭線と台東線とを結ぶ北廻線が全通したのだが、その際に北廻線の終点として設けられたのが花蓮新駅。ただこの時点では、台東線は軌間762mmのナローゲージのままで、花蓮新から路線を延長して台東線の田浦(ティエンプー)まで結び、そこが暫定的に乗換駅とされた。そして1982年、台東線の軌間を北廻線など同じ1067mmにする改軌工事が終わったのだが、その際、花蓮新が両線の接続駅とされ、田浦は改軌に伴い移転した台東線の吉安(ジーアン)と統合され廃止に。その直後、花蓮(旧駅)が正式に廃止されるのをもって、花蓮新を花蓮と改称した。
その花蓮で乗り換える前に、一度改札口から出て、食料の調達を。昼前に台鉄弁当を食べて以来、固形物を口にしていなかったので、大変に空腹である。
それで混雑する待合室で弁当の売店を探すも見当たらず、構内にあったセブンイレブンで妥協しようとしたところ、「ビェンタ~ン」「ビェンタ~ン」と若い女性の声が聞こえてきた。急いでその声の元に向かうと、改札口近くで台鉄弁当が売られているではないか。その声の主である可愛らしい売り子さんから弁当を買おうとしたのだが、2種類あった弁当のうちどちらにしようか大層真剣に悩んでいたところ、クスっと笑われてしまった。
悩んだ末に無事購入出来た弁当を手に、先程の普悠瑪号同様に日本で予約し昨日台北駅で受け取った切符で改札口を通り、月台でさほど待つ事無く乗るべき列車がやってきた。その列車は、花蓮から2つばかり台東寄りの駅である志学(ツーシェ)始発の、台東線・北廻線・宜蘭線・縦貫線経由、樹林行き229次太魯閣(タロコ)号。
この太魯閣号というのは、2007年から営業運転を開始したTEMU1000型電車で運行される自強号に付けられた愛称で、営業最高速度は130km/hと従来型の自強号と変わらないものの、曲線通過の際に遠心力を利用して車体を内側に傾ける振り子式車両を採用した結果、曲線区間を従来型の車両よりも25km/h速く通過できるようになり、大幅な所要時間の短縮が可能となった。
また普悠瑪号と同様、一般的な自強号で認められる自願無座が認められておらず、座席指定を受けないで乗車した場合は罰金を取られるなど、こちらも少々特別な列車となっている。
ちなみに「太魯閣」とは公募で決められた愛称で、有名な観光地である太魯閣渓谷などを含む太魯閣国家公園から取られたそうなのだが、元々「太魯閣」とは、原住民「タロコ族」の言葉で「連なる山の峰」を指すとも、高名な頭目の名に由来するとも言われているそうだ。
それにしても、丸みを帯びた車体は、白地にオレンジ色の帯を配し、窓まわりを黒で塗り分けた塗装と相まって、個人的にはヨーロッパの列車を思わせるスマートな外観だと思ったのだが、太魯閣号に使われているTEMU1000型電車は日本製で、JR九州の885系特急型電車をベースに開発された車両である。
指定された座席は、2車の5号。この列車に乗る区間、海側だと所々フィリピン海を眺めることが出来るのだが、残念ながら山側の席である。
花蓮を出発した列車は速度を上げ、目一杯という感じで飛ばす。座席が車端に近いということもあり、上下にかなり揺すられる感じだ。またカーブに差し掛かると振り子式列車独特の、内側にバンクする感覚も味わえるが、この車両は制御付き自然振子式といって、コンピュータに記録された路線のカーブごとのデータと列車位置を照合し、カーブの進入と脱出時に傾斜の制御を行うため、それについては不快な感じはない。
そんな中、まずは花蓮で購入した弁当を開く。100元の花東特蔬便当で、「特蔬」は確か名産品という意味だから、その名のとおり当地の名産品で作った弁当ということであろうか。
包装紙はなく、買った時から透明の蓋越しに種類豊富なおかずが見えていたのだが、まず中央部に載ったメインと思われるものは豚肉を原住民風に料理したものらしい。香辛料は効かされておらず、素朴な味わいだ。もう一つのメインは、鬼頭刀魚(グゥイトウダオユー)、シイラを揚げたもので、魚自体に味が付けられている感じ。他にも、薄味のつみれに、豆乾の煮物、紫芋のふかしたものが載り、その下には、キャベツと、青菜は龍鬚菜(ロンシューツァイ)だろうか、クセもなく歯触りが面白い。全体的に塩気は薄く、素材の味がよくわかるのが印象的だった。だがそんな中、洛神花(ルゥオシェンファ)、ハイビスカスティーの原料にもなるローゼルが、個人的には強敵だった。砂糖もしくはシロップに漬けられたのであろうか、酸味と強い甘味、草のような風味に、かなり驚かされた。
【車窓から見た和平渓と改良前の橋梁】
【南澳駅で貨物列車を追い抜く】
【車窓から見た東岳湧泉】
弁当を食べて人心地ついた後は車窓の景色を眺めるのだが、山側の席といっても見所は多かった。
まず、古い北廻線の遺構がかなり残っている。現在走っている北廻線は、1980年に全通し台湾東部へのアクセスが劇的に改善したのだが、それに加えて1982年の台東線改軌によって直通列車が走るようになって以来、飛躍的に増えた乗客のお陰で日常的に混雑が続くようになってしまった。そのため台湾政府は、北廻線の全線複線化及び電化を行うことを決定。その際、線形の改良も行われ、トンネル、橋梁を多用した直線的な路線に付け替えることとした。その工事が全て完了したのが2005年の事なのだが、橋梁など一部は古い路線が撤去されず、車窓からそれが見えた。
次に、これは山側とは関係ないし、逆に景色は見られないのだが、改良前の鉄橋を見た和平渓を過ぎて現れたのが、台鉄全体で第2位、台鉄の山岳トンネルに限れば第1位の延長を誇る新観音トンネル。北廻線複線電化工事の際、漢本(ハンベン)と武塔(ウーター)の間に新たに掘削された全長10,307mのトンネルだ。
その次にというか、これは何度か見たのだが、「台湾水泥」などセメント会社の名前を付けたホッパ車という種類の貨車を連ねた貨物列車。「水泥」(シュイニー)はセメントのことなのだが、かつて台湾西部で採取されていたセメントの材料である石灰石は、資源の枯渇によって台湾東部で採取されるようになった。北廻線が走る花蓮県から宜蘭県にかけてはその一大採取地となっているのだが、その輸送は台鉄が使われているため、石灰石を積んだ貨物列車が多数走っている。だがしかし、環境や景観を破壊するなど問題も出ているらしい。
そして最後に、東澳(トンアォ)を通過してすぐに現れた東岳湧泉。古い北廻線の遺構の下で水浴びをしている人が多数居たので調べてみたところ、北廻線の複線電化工事の際に偶然掘り当てられた地下水脈で、年間を通して摂氏14~16度の冷水が湧き出ているとのこと。その冷水を近くの東澳溪に引き入れ「東岳湧泉公園」として整備したそうだ。
それらを眺めているうちに、宜蘭線との接続駅、蘇澳新(スーアォシン)に到着。定刻は17時16分だが、それより3分程遅れていた。
【蘇澳新駅に停車中の樹林行き229次太魯閣号】
【蘇澳新駅の駅名標】
蘇澳新は、これまで乗ってきた北廻線の起点となる駅で、宜蘭線との分岐駅となる。宜蘭線は、1919年に一部区間が開通したのだが、その際に設けられた終着駅が、この蘇奥新から東に1駅いったところにある蘇澳(スーアオ)であった。
蘇澳新は当初、南新城(ナンシンチォン)という駅名で1968年に開業、1975年に南聖湖(ナンシォンフー)に改称した。そして1980年に北廻線が開通した際、宜蘭線との接続駅は南聖湖となり、1982年には蘇澳新と再度改称された。
一方蘇澳は、北廻線への直通列車が走らない、離れ小島のような終着駅となってしまったのだが、今日これまで立ち寄ってきた台東や花蓮と違って、駅そのものが無くなることはなかった。もっともそのお陰で、今回、蘇澳新と蘇澳の間を往復する事になったのだが。
その蘇澳に向かう列車は、蘇澳新17時46分発の、4194次区間車。発車まで30分近くあったので、一度改札口から出てみたのだが、駅の待合室に冷房は無く、丁度やってきた若者が椅子に座り、置いてあった扇風機を自分の方に向けていた。
ホームで待つ事暫し、4194次区間車は17時44分の定刻にやってきた。その車両はこの旅2度目となるEMU500型通勤型電車で、勿体付けるように2分程停車した後、蘇澳に向け発車。ロングシートの車内はガラガラだ。黄昏の中、それほど速度を出さずに数分走ると車窓の景色から終着駅独特の雰囲気が漂いだし、程なくして蘇澳に到着。降りた乗客は、4両編成全て合わせても僅かなようであった。
【蘇澳駅の駅舎】
【蘇澳駅の待合室】
【蘇澳駅の改札口付近】
【蘇澳駅のホームにある絵】
台鉄の旅客駅は、台北、台中、高雄、花蓮と4つしかない特等站から一等站、二等站、三等站、簡易站、甲種簡易站、乙種簡易站、丙種簡易站、招呼站(無人駅)まで9つの区分に分かれている。かつて、蘇澳は一等站であったのだが、2014年、二等站に降格となり、代わりに蘇澳新が一等站に昇格した。ただ、駅の位が下がったからといって、駅が小さくなったりするわけではなく、少しばかり古めかしいコンクリート造の駅舎はわりと立派なものだった。
その待合室は、人がおらずガランとしていた。だが、壁には手作り感あふれるいろいろなものが飾られており、中には、日本の銚子電鉄と台鉄が姉妹路線の提携を結んだ際の写真もあった。
蘇澳は漁港として知られ、また駅から近いところに炭酸を大量に含んだ水が湧き出る「蘇澳冷泉」(スーアオランチュェン)という大変珍しいものもあるのだが、それらは見ずに先程の列車の折り返しとなる18時15分発、宜蘭線・縦貫線経由、中壢(ジョンリー)行き4221次区間車で引き返す。先程は気がつかなかったのだがホームには池が整備されており、壁の一部には鉄道員が手ずから描たであろう絵があった。待合室もそうだったのだが、この駅は鉄道員から大切にされているようだ。
先頭車に乗ったのだが、発車までにこの車両に乗ってきた乗客は私を含め3人しかいなかった。
定刻、蘇澳を後にすると、乗客が少ないのを良いことに、身体を窓の方に向け景色を眺めた。4分程走って北廻線が合流し、もう少しばかり走ると蘇澳新に到着。僅かだが乗車があった。その後も駅毎に少しずつ乗客を増やしつつ、夕闇が迫るなか宜蘭線を走行するのだが、蘇澳新から3つめの羅東(ルォードン)で下車。この列車に乗り続けていても21時34分には今夜の宿のある台北に着けるのだが、ここで後続の283次普悠瑪号に乗り換えれば、台北到着が1時間以上早くなる。切符は今日これまで乗った普悠瑪号、太魯閣号同様、発売日に日本から予約していた。
【羅東駅の駅名標】
【羅東駅に入線する斗六行き283次普悠瑪号】
一度改札口を出てから普悠瑪号の切符で入場し、ホームで待つ事暫し。18時50分発の斗六行き283次普悠瑪号は、3分程遅れてやってきた。日は少し前に落ち、窓の外を見る事は難しくなった。
いつの間にか縦貫線との接続駅である八堵(パードゥ)を通過し、七堵(チードゥ)に停車。その後、松山(ソンシャン)に停車し、20時12分の定刻よりも2分程遅れて台北に到着し、とりあえず環島(ファンダオ)、いわゆる台湾一周を達成。
一日ぶりに戻ってきた台北駅は、今夜も妖しくライトアップされていた。
夕食がまだで小腹が空いていたが、疲れていたので、駅構内のセブンイレブン買った巻き寿司をホテルで食べた。日本の寿司とは、ちょっとばかり違う味がした。
高 雄
07:26
|台鉄 縦貫線南段
|506次
|莒光号
08:12
台 南
08:50
|台鉄 縦貫線南段・屏東線
|371次
|自強号
10:33
枋 寮
10:55
|台鉄 南廻線
|3671次
|普快車
13:21
台 東
14:00
|台鉄 台東線
|425次
|普悠瑪号
15:57
花 蓮
16:30
|台鉄 北廻線・宜蘭線
|229次
|太魯閣号
17:16
蘇 澳 新
17:46
|台鉄 宜蘭線
|4194次
|区間車
17:51
蘇 澳
18:15
|台鉄 宜蘭線
|4221次
|区間車
18:38
羅 東
18:50
|台鉄 宜蘭線・縦貫線北段
|283次
|自強号 普悠瑪列車
20:12
台 北(泊)
台鉄 台東-花蓮(自強号) 343元
台鉄 花蓮-蘇澳新(自強号) 180元
台鉄 羅東-台北(自強号) 238元
(計 761元)
【高雄駅に停車中の花蓮行き301次自強号(DR2800型気動車)】
【枋寮駅に停車中の台東行き3671次普快車と自強号用DR3000型を使用した潮州行き3520次区間車】
【台東駅に停車中の観光列車「環島之星」+台北行き52次莒光号(環島之星側)】
【台東駅に停車中の観光列車「環島之星」+台北行き52次莒光号(機関車側)】
【台東駅に停車中の樹林行き425次普悠瑪号と待機中のTEMU2000型電車】
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