趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
台湾鉄道旅も3日目に突入。(ちなみに1日目、2日目前半、2日目後半)
高雄で朝を迎え、この日の宿のある台北まで行けば、環島、すなわち台湾一周を達成します。そしてその途中、今回の旅で一番乗りたかった列車にも。
※クリックで拡大(この絵に限らず当ブログの画像はクリックでだいたい拡大しますので。)
この日は、昨日のような仕儀にならず、予定通りに起きる事が出来た。もっとも、目覚ましのアラームをセットした時刻は、普段と同じ午前6時過ぎだったのだが。
窓から外を見ると、空はほぼ雲で覆われているが、どんよりと単色で塗りつぶしたような感じでは無く、所々明るいところもありつつも一部はもこもこと盛り上がっている。
【朝の高雄駅】
【高雄駅1階の切符売り場付近】
【高雄駅2階の改札口付近】
【地下化工事の現場(跨線橋から撮影)】
身支度を調えホテルをチェックアウトし、目の前の横断歩道を渡れば台鉄の高雄(カオシュン)駅であるが、現在、路線の地下化工事が行われており、曇り空の下で改めて見ると、仮囲いや重機などが雑然としている。
また駅舎も、元々は日本統治時代の末期1940年に作られた立派なものがあったのだが、地下化工事完成後の新しい駅舎の入口部分に利用するため80m程離れた場所に保存中で、現在は仮設のものが使用されている。もっとも、これはこれで昔の地方都市の駅舎のように見え、少々懐かしく感じる佇まいなのだが。
入口から入ると1階は切符売り場の窓口が並び、2階が売店や待合席。自動券売機と改札口も2階にあった。
朝食が未だだったので、2階にあったセブンイレブンでおにぎりと緑茶を購入。乗る予定の列車までは未だ時間があったので、すぐ近くの待合席で食べる事にした。
おにぎりの包装には「松坂猪肉」と書かれていたが、このうち「猪肉」とは日本語で言うところの豚肉のこと。なので松阪牛ならぬ松阪豚となるのだが、当地で肉に「松阪」と付いた場合、「高級な」くらいの意味らしい。
それと一緒に買った緑茶だが、よく見ると「台式」と書いてあり、一口飲むと甘い。もっとも、甘味はそれほど強くないし、また個人的には日本で10年くらい前に売られていた蜂蜜入り緑茶が好きだった事もあって、これはこれで悪くなかった。
【高雄駅に停車中の七堵行き506次莒光号(機関車側)】
【高雄駅に停車中の七堵行き506次莒光号(最後尾)】
この日、最初に乗る列車は、高雄7時26分発、縦貫(ゾングァン)線海線(ハイシェン)経由七堵行き506次莒光号(ジュグァンハオ)。莒光号とは日本の急行列車に相当する列車種別で、全席対号座、日本で言うところの座席指定であるが、TR-PASSを持っていれば、自願無座(ズーユェンウーズオ)、日本で言うところの立席乗車が認められている。TR-PASSは1日1回だけ座席の指定が出来るようになっているのだが、それは次の列車に取っておこうと思う。
TR-PASSを見せて改札口を通り、長い跨線橋を渡って506次莒光号の発車する第4B月台(ユエタイ)へと移動。程なくして、E200型というアメリカ製の電気機関車に牽引された、長い編成の莒光号が入線してきた。
かつての日本でも、ブルートレインをはじめとする機関車牽引の客車列車が沢山走っていた時代があったのだが、効率化や省力化のために姿を消していき、現在定期的に走っている列車は、SL列車など観光用のものを除き皆無となってしまった。
しかし台湾にはこの莒光号の他、快速列車に相当する復興号(フーシンハオ)、普通列車に相当する普快車(プークァイチャー)が健在で嬉しい限りである。
4分ある停車時間を利用して列車の写真を撮ってから乗車したところ、車内は盛況で座席が9割程度埋まっている。空いている席を見つけて座ると、すぐに発車。その際、先頭の機関車から順に伝わってくるような衝撃は、ずいぶん久しぶりに味わう気がする。またそれに加えて、車体の揺れ方や、モーターやエンジン音がしない静かな客室の感じも、まさしく客車列車独特のもので嬉しくなった。
そういえば、シート上部、ヘッドレスト部分に掛けられた布に描かれた「OhBear」が、昨日乗った109次自強号とは絵柄が違っているのだが、私が今持っているのと同じような赤いカメラを首から掛けたその姿は、可愛らしさは別として、妙に親近感を覚える。
発車してすぐ、雨が窓を叩く。列車はまだあまり速度が余り出ていないので、水滴が、どちらかというと横ではなく下に流れる。
高雄を出て10分も経たないうちに、新左営(シンズォーイン)に到着。昨日、台中から乗ってきた高鉄の左営(ズォーイン)がこの台鉄の新左営となるのだが、結構な数の乗客が入れ替わった。それで気がついたのだが、私と同じ自願無座の乗客は、駅に到着後すぐに乗り込んでくる乗客が落ち着いてから、空いている席を探して乗るような感じであった。新左営で私の隣に座った中年男性も、その挙動から自願無座のような気がする。
もっとも、私も自願無座なので、駅毎に座っている席の切符を持った乗客が乗ってこないか、落ち着かない事このうえない。特にこの莒光号は、停車駅多いから尚更である。
そんなソワソワした気持ちのまま、高雄を出て46分で台南(タイナン)に到着。ここでこの列車を降りねばならない。
台南から次に乗る列車は、8時50分発、縦貫線・屏東(ピントン)線・南廻(ナンフェイ)線経由の台東(タイトン)行き371次、自強号(ツーチャンハオ)。高雄までは先程乗った莒光号と同じ路線を逆に行くこととなる。
何故このような乗り方になったかというと、元々の計画では、今回の旅で莒光号に乗る機会が少ないため、無理矢理付け足したような感じだった。しかし、昨日昼の列車乗り間違えとそれに伴う計画変更で、基隆(キールン)と高雄を結ぶ縦貫線を全て乗るためには、今日のうちに台南、正確には台南から高雄寄りに4つほど行った中洲(ジョンジョウ)まで乗っておく必要に迫られたためである。
由緒正しい縦貫線を、このように細切れに乗るのは心苦しいし、寝坊と乗り間違えが無ければ、山線(サンシェン)以外は昨日のうちに乗り終える事が出来たのだが。
それで台南に到着した頃には雨が強くなり、おまけに雷鳴まで轟いていたのだが、そんな中、雨に打たれつつ出口から入口にまわって向かったのは切符売り場の窓口。
そこでTR-PASSと「台南-枋寮 371次 自強号 Only Seat」と書いたノートを、若い女性の係員に見せてこれから乗る自強号の座席指定をしてもらう。ちなみに「Only Seat」などと書いたのは、座席指定券を表す「座位券」という言葉が出てこなかったためだが、それでも何とか意味するところは通じたらしい。
しかし窓口の端末に向かった後、窓口担当の女性は困ったような表情をした。どうやら、その区間は満席らしかった。続けてその後どうするか問いかけるような感じだったので頷いたところ、端末を操作して発行された座位券は、高雄から枋寮(ファンリャオ)までとなっていた。
またここで初めて、TR-PASSに使用日の日付印が押された。規則をよく見ると、使用する際にはその日の起点となる駅で日付印を貰う事となっていたのだが、昨日、台北で購入した時や、台北や彰化(ジャンファ)で改札口を通った時、そして今朝高雄で改札口を通った時も、特に呼び止められもしなかったのでそのままになっていたのであった。
【台南駅の駅舎】
【台南駅の駅舎内】
【台南駅の切符売り場付近】
高雄からだが座位券を手に入れた後、発車までの待ち時間を利用して、日本統治時代の1936年に完成したという台南の駅舎を眺めたかったのだが、生憎外は相変わらず雷鳴が轟き、土砂降りに近い雨が。更には駅舎の修繕工事が行われているのか、表面がシートで覆われていたため、外観を見るのは残念ながら無理な様子。
ただ、先程莒光号から降り立った第1月台の広いホームに張り出した屋根や、所々にアーチ型の意匠をあしらった待合室など、昔の鉄道主要駅の雰囲気がたっぷりと残っており、だからこそ、外観も含めてゆっくり見たいと思わせる魅力があった。
しかしながら、待合室を含む駅舎内は混雑しており、あまり長居したい雰囲気でも無かったので、TR-PASSを見せて改札口を通り、次に乗る列車が発車する第2月台へ。ここも列車を待つ人で混んでいたのだが、皆、私と同じく、371次自強号を待っているのだろうか。
ホーム上の案内表示では「準點」(ジュオデェン)、日本で言うところの定刻となっていたが実際は2分程遅れて到着した。車両は、DR3100型という形式の自強号用柴油車(チャイヨウチャー)、日本で言うところのディーゼルカーの9両編成。この列車が乗り入れる屏東線と南廻線の一部は、現在電化工事が進んでいるものの、一部が非電化のまま残っている。また一見すると、昨日まで何度か乗ったローカル線用のDR1000型気動車とそっくりであるが、これは両車とも日本の同一メーカーで同時期に作られたためであろうか。
台南の停車時間は2分しか無いので、列車が停止するや否や、写真を撮っていた先頭の1車のドアから先客に続いて乗り込んだのだが、車内はかなり混雑している。デッキや客室内に立つ人もいて、車内のゴミを回収する乗務員に続きその人達を縫いながら自分の席のある6車まで移動。案の定、指定された14号には先客が座っていたが、私の座位券は高雄駅からなので、その横の通路に立って待つ事にする。
列車は雨の中を30分程進み、定刻よりもやや遅れて新左営駅に到着。ここでわりとまとまった降車があり私の席も空いた。次の停車駅は高雄であり、乗ってきた客もその席には座らなかったため、少々早いが1区間だけ自願無座ということにして腰を落ち着けた。
シートは昨日乗った109次自強号同様、幅はそれほどでもないものの前後のピッチはとても広く快適。ただし、日本製の車両ゆえ、エンジン音なども含め、どうしても日本のディーゼル特急を思い出してしまい、あまり異国情緒は無い。
次の高雄からは、路線名が縦貫線から屏東線に変わる。流石は大都市高雄の中心駅だけあってまとまった降車があったのだが、乗車する人はもっと居た。更に、高雄市の市街地にある次の鳳山(フォンシャン)でも乗車があり、車内には再び立つ人も出てきた。
そんな中、高雄から乗り込んだのであろうか、制服のようなものを着た中年の女性が、席を確かめながら弁当を配っている。予約すれば車内で受け取れる仕組みでもあるのだろうか。
それを見たら急にお腹が空いてきた。我ながら意地汚いと思うのだが、台鉄には今や名物となった「台鉄弁当」(タイティエビェンタン)と呼ばれる駅弁があり、是非とも食べてみたいと思っていたところである。しかし、屏東でその女性は下車してしまった。
窓の外は、遠くに晴れ間は見えるものの、相変わらず雨は降り続いている。その下に広がる台湾の風景にも見慣れてきたところではあったが、このあたり、水田の稲が、昨日台中(タイチュン)市付近で見たものよりも、相当に育っている。台湾の稲作は二期作と聞いているが、地方によって田植え時期に差があるのか、それとも成長が相当に早いのだろうか。
空腹を抱えつつ外を眺めていたところ、今度はちゃんとした弁当の車内販売がまわってきた!
迷わず呼び止めたところ、種類は1種類のみで、値段は1つ80元とのこと。もちろん購入したのであるが、蓋には阿里山森林鉄路(アーリーシャンセンリンティエルー)の列車があしらわれ、下の方に品名、重量、成分などの記載がある。ちなみに品名は「80元排骨弁当」で、製造元は高雄鉄路餐庁となっていた。それと弁当が温かいのだが、当地ではこれが当たり前の事らしい。
この列車を降りるまでは30分もないが早速いただく事にして蓋を開けると、ご飯にかかるように大きな排骨(パイグー)、日本で言うところのパーコーが載っている。まずはその排骨から箸を付けたところ、歯応えは硬く無く、味付けは八角など当地独特の香辛料は効いているものの、丁度良く醤油味が染みていて旨い。また同じような味付けになっているのは、卵と、「豆乾」と言う固く作った当地の豆腐であろうか。他にも魚の練り物や、筍の千切りを煮たもの、雪菜と呼ばれる当地の青菜の漬け物などが付け合わされているが、どれも当地らしく塩気が控えめな味付けである。
夢中になって弁当を食べていると、列車は潮州(チャオツォウ)に到着した。現在屏東線は、高雄からここまでが複線電化され、縦貫線を含めた「西部幹線(シーブガンシェン)」の、自強号、莒光号といった対号列車の多くが、この駅を始発・終着駅としている。
潮州を出て列車は単線非電化区間に入ったのだが、このあたりから車窓に養魚場が続く。ウナギだろうか。だとしたら個人的にはあまり良い景色だと思えなくなる。ウナギの養殖は卵からの完全養殖では無く、捕獲した稚魚を育てる畜養という方法で行われているが、資源の枯渇、そしてウナギという種の絶滅が目前に迫っているにもかかわらず、日本国内では野放図な大量販売と大量廃棄が続けられている。何もこんな時にそのことを思い出さなくても良いようなものだが。
371次自強号は、約1分の遅れで枋寮に到着した。ここまで乗ってきた路線は屏東線だが、ここから先の台東までは南廻(ナンホェイ)線という路線名に変わる。南廻線は、1992年に全通した路線で、これによって台鉄の路線が当地の言葉で「環島(ファンダオ)」という、台湾島を一周することとなり、「環島鉄路」という別称が出来た。
それでこの列車に乗り続けていても台東まで行けるのだが、ここで下車して、約20分後の10時55分に発車する、台東行きの普快車に乗り換える。
この普快車こそ、今回の台湾旅行の中で、最も乗りたい列車であった。
【枋寮駅の駅舎】
【枋寮駅の改札口付近】
【地下道の案内表示】
【枋寮駅に進入する台東行き3671次普快車】
しかし、一度駅を出て駅舎の写真を撮った後、再び戻り改札口から入場しようとしたところ、改札口上の列車案内には、台東行き3671次普快車の表示が無いではないか。
とりあえずTR-PASSを見せて入場し、地下道を通って台東方面の列車が発着する第1月台に向かったのだが、地下道にある列車案内でも3671次普快車の表示が無かった。だが、ホームに上がると、明らかにその列車を待っている人達が大勢いて、そんな中ゆっくりと、列車は後ろ向きに入線してきた。
何故表示が無いのかは解らないままなのだが、発車まで10分もないので、機関車の次の車両に席を確保後、大急ぎで写真を撮り、編成を見て回る。
【枋寮駅に停車中の台東行き3671次普快車(機関車側)】
【枋寮駅に停車中の台東行き3671次普快車(最後尾)】
まず先頭は、R100型というディーゼル機関車。1970年にアメリカで製造されて以来、50年近くに渡り使用されている古兵だ。ちなみにディーゼル機関車には、ディーゼルエンジンの動力を、液体変速機を介して車輪に伝える「液体式」と、ディーゼルエンジンで発電した電力を使って台車に搭載したモーターを駆動する「電気式」という駆動方法があるのだが、このR100型は製造元のアメリカで主流の電気式となっている。
その後ろに連なる客車は3両で、どの車両も車体のやや中央寄りに両開きの扉が2つずつ付いており、青地に白帯が巻かれた塗装になっている。車番は前から40TPK32206T、40TP32215T、40TPK32229Tで、どの車両も車端部近くに「形式32200」と書かれていたが、その型式からインドで1971年に製造された通勤型の客車のようだ。
車内の設備は、ドア付近を除いて回転式のクロスシートが並んでおり、シート表面はビニール製。雨の中、窓を開けたまま留置されていたのか、そのシート表面には水滴が付いている。また冷房は無く、天井には扇風機が付いているが、スイッチが入っていない。もっとも、そのスイッチは壁に付いているので、勝手知ったる風でそれを入れると、それを見た他の乗客も真似をしてスイッチを入れた。
席がさらりと埋まる程度に乗客を乗せた列車は、定刻に枋寮を発車。発車する際の引っ張られるような衝撃は感じないが、加減速の際に車両が前後にガクガクする旧型客車独特の感覚が懐かしい。乗り込んだ時に消えていた室内灯は、発車すると順次点灯した。
開け放たれた窓からは、前方のディーゼル機関車から発せられる雷のような轟音と共に、湿った涼しい風が流れ込んでくる。
養魚場と果樹園の中を進み、最初の停車駅である加禄(ジアルー)に停車。ホームが2面あるうち列車が停車しない方の1面は、コンクリート製の屋根の支柱が根元から取られているようだ。そして次の内獅(ネイシー)では、ホームと駅舎の間が荒れ地のようになっている。
【車窓から見た南シナ海】
【車窓から見た枋山駅】
【車窓から見た枋野信号所】
内獅を発車後、程なくして右手に、高台から見下ろすような感じで海が見える。南シナ海だ。遠くに晴れ間が見えるものの相変わらず小雨が降ったり止んだりしている生憎の空模様だが、やはり海が見えると気分が高まる。もっとも、海が見えると気分が高まるのは、海無し県である栃木県民の性(さが)らしいが。
次の枋山(ファンシャン)は、台湾で最南端の駅である。現在は無人駅だが、2006年まで有人駅だったそうだ。無人駅となって12年程だが、それにしては駅舎の荒廃が進んでいるように見えるのは、海に近いからだろうか。
そして枋山を出た列車は、中央山脈の南端近くを、台鉄では3番目に長い8070mの中央トンネル他いくつかのトンネルを潜りつつ横切っていく。ここから約30分にわたって客扱いする駅には停車しないが、枋野(ファンイェー)、昨年9月までは駅だった古荘(クージュアン)と、2つの信号所に停車した。
それにしても、車内の賑やかさはどうだろう。私を含めてだが、乗客の全てが、この列車に乗ること自体を目的に乗車しているように思える。
トンネルのたびに大声で叫ぶ子供や、写真撮影のために席に座る私の頭越しに窓に向かってカメラを構える中年女性、自撮り棒に向かって何やら話しかけている若い男性など、そんなはしゃいだ空気が車内には蔓延している。
それとこの車両には車掌が乗務しているのだが、駅に停車する度にドアの開閉や安全確認を行う他、親しげに話しかける乗客に受け答えしたり、記念撮影に応じたりと大忙しである。もっとも、それ以外の時は、客席の空いたシートに腰掛けているのだが。
【車窓から見た大武駅】
【車窓から見たフィリピン海】
【龍渓駅に停車中の3671次普快車車内】
【龍渓駅に停車中の3671次普快車】
【龍渓停車中に704次莒光号と交換】
やがて中央山脈を越えて遠くに再び海が見えると、大武(ダーウー)に到着した。ここからは右手にフィリピン海を望みながら進む。
台湾島の西から東、フィリピン海側に来たら晴れ間が多くなり、生ぬるい風が車内に吹き込むようになった。車内は相変わらず賑やかである。
廃止された富山(フーシャン)信号所を挟んだ次の龍渓(ロンシー)では7分程停車したであろうか。その間に、反対方向から来た704次莒光号と交換した。
ここから先、次の多良(トゥオリャン)、金崙(ジンルン)を挟んだ香蘭(シャンラン)、大麻里(タイマーリー)を挟んだ三和(サンホー)と、駅が1つおきに廃駅となっている。この中で、かつて「全台最美車站」、台湾で最も美しい駅と呼ばれた多良だけが、観光用の駅として復活したようだが。
フィリピン海から遠ざかりその先の知本(ヂーベン)では、20分近く停車したであろうか。その間、後続の自強号が追いつき、こちらと較べると相当短い停車時間の後、先に発車していった。
ここから先は2014年に電化されおり、自強号の一部列車は、ここ知本が終着・始発駅となっている。もっとも、終着駅が近いからか、この列車は機関車を電気機関車に付け替えたりせず発車した。
車窓の景色はこのあたりから暫くぶりに、人が生活している気配がし出す。水田では田植えの真最中だ。そして農地の向こうには建物も見える。
康楽(カンルー)に停車した後、約5分で台東に到着。景色が都市の中に入ったという感じがしないまま唐突に現れた終着駅という感じなのだが、お陰で下車する用意が調っておらず、回送のためかヘルメットを被った鉄道員が乗り込んでくる中、慌てて荷物をまとめて下車した。
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