たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

私的 台湾鉄路千公里 【平成30年7月31日~8月4日】 その2

台北駅に停車中の彰化行き109次自強号

 昨日に続く、台湾の鉄道乗車記なのですが、この日は、早朝に台北を発って、途中いろいろな列車に乗りつつ、台湾南部の高雄を目指す予定となっておりました。ですが、少々波乱の一日になってしまったという。


2 8月1日(水)

2日目の乗車区間
 ※クリックで拡大(この絵に限らず当ブログの画像はクリックでだいたい拡大しますので。)

台北車站

 私は普段、午前6時過ぎに目を覚ます。
 この日の予定は、台北6時00分発、もしくは6時34分発の区間車(チュジェンチャー)で北に進み縦貫(ゾングァン)線の起点である基隆(キールン)まで行った後、基隆始発となる7時35分発、彰化(ジャンファ)行き109次自強号(ツーチャンハオ)に乗る予定であった。
 しかしながら実際に目が覚めたのは、普段と同じ午前6時過ぎ。朝方、階下から響くパトカーのサイレンで目が覚めた記憶はあるが、午前5時にセットしたアラームを止めた記憶は無かった。

 これからどんなに急いで支度したとしても6時34分発の列車に間に合わないことは確実。109次自強号に始発駅から乗れなくなるのは誠に残念だが、不幸中の幸いと言うか、109次自強号は台北にも停車し、その発車時刻は8時13分となっている。
 昨日、縦貫線は八堵(バードゥ)まで乗っており、そこと基隆の間は今日乗ることが出来なくなるが、台北から基隆まで往復で2時間とかかからないし、今後の予定も余裕を持って組んであるので、どこかに基隆往復を組み込むことは充分に可能。
 なので、ゆっくりシャワーを浴びて目を覚ましてから身支度を調え、今夜は高雄(カオシュン)に泊まる予定だが明日にはこのホテルに戻ってくるので1泊2日分の荷物だけまとめたバッグを背負い、残りはキャリーバッグに詰めてホテルに預かって貰い出発した。

【朝の台北駅】
朝の台北駅
【台北駅コンコース】
台北駅コンコース

 昨日は慌ただしく通り過ぎてしまった台北車站(タイペイチャーヂャン)、日本で言うところの台北駅であるが、現在の駅舎は1989年、台北駅前後の区間の地下化と共に完成したもので、地上6階、地下2階という立派なもの。地上3階から6階は業務エリア、地上2階がフードコート、地上1階が台湾鉄路管理局(台鉄)、台湾高速鉄路(高鉄)の切符売り場や各種売店、地下1階がコンコースで、地下2階に台鉄と高鉄の月台(ユエタイ)、日本で言うところのプラットホームがそれぞれ2面4線ずつ、加えて台鉄の通過用の線路が1線という構造になっている。

 それで台北から自強号に乗る前に、台鉄の切符売場でやっておきたいことが2つあった。
 まずは出発前、日本からインターネット経由で予約購入した、対号列車(ドェイハオリィエチャー)、日本で言うところの座席指定列車の切符の引き換え。これから乗る自強号に加え、常に混雑していて当日だと指定席がまず取れないという台湾東部を走る列車など、いくつか予約購入していた列車があるので、それらを自動券売機で引き換えるのだが、これはやり方を事前に調べておいたため問題なく出来た。
 それともう一つは、台鉄が3日間乗り放題となるTR-PASSという切符の購入。もっともこれについては、昨日買った悠遊卡(ヨウヨウカー)を使えば遠距離で対号列車を利用する時以外不要になるうえに運賃は一割引となるし、また事前に購入した対号列車の乗車券と重複する部分も出てくるのでその分が無駄になってしまうのだが、個人的には冗長性の確保というか、もし不測の事態が起きた時に「乗り放題」の切符を持っていた方が安心できると思い購入することにした。その3日間用を、台鉄の切符売場窓口で「TR-PASS 3DAYS 8/1~8/3」と書いたノートを見せ購入。値段は1800元、日本円にして約6768円であったが、それで台鉄の1000km余りに乗る事が出来、おまけに1日1回だが自強号などの座席指定も出来るとあれば、相当安く感じてしまう。
 ちなみに、TR-PASSを購入した窓口の職員だが、日焼けした精悍な顔つきの相当な美男子だと思った。しかし、こちらとやりとりをする声と物腰は間違いなく女性。頭髪がかなり短かったので一目見て男性だと思ってしまったのだが、良く見ると、女性でも相当な美人である。

 その後、駅構内1階のセブンイレブンで弁当を購入。日本でも大きな駅の構内にコンビニエンスストアがあるが、台北も同様で、品揃えも当地らしい商品が一部有る他は、日本と余り変わらないようであった。ただ、購入した弁当をレンジで温めて貰ったのだが、暖めた弁当を渡す時に入れた袋というか容器が変わっている。一見すると切り込みが多数入った1枚の布のようなものであるが、弁当を入れるとネットのように変化した。

109次自強号、彰化行き

【台北駅に進入する彰化行き109次自強号】
台北駅に進入する彰化行き109次自強号

 弁当を手に改札口を通り、109次自強号が発車する第3A月台に移動。時間に余裕があるつもりだったが、ホームに降りると程なく列車が入線してきた。
 それでこの109次自強号、実は今回の旅の中で是非とも乗りたい列車の一つであった。その理由は、この列車に使われているEMU300型という電車。1989年に登場した少々古い車両で、イタリアのソシミ社という日本では全く馴染みが無いメーカー製である事に加え、その駆動方式、モーターの駆動力を車輪に伝える方式が、日本の高速鉄道用電車では現在ほぼ用いられていない「吊り掛け駆動方式」というのも興味をそそられる点である。ただし、ソシミ社の倒産によって保守用部品の入手が困難になったため、現在は1日1往復の自強号に用いられているのみとなってしまった。

【台北駅に停車中の彰化行き109次自強号】
台北駅に停車中の彰化行き109次自強号
【109次自強号の車内】
109次自強号の車内

 そのEMU300型電車を使用する列車の1つが、109次自強号。ホームで写真を撮ってから乗り込むと、席はほとんど埋まっている。
 切符で指定された席は2車21号。2車というのは2号車のことだが、座席番号の付け方が台鉄と日本では大きく違い、例を挙げると自席がある横1列は、窓、22号、24号、通路、23号、21号、窓、という配置になっている。またそれが車端部だと、窓、2号、4号、通路、3号、1号、窓という配置になる。要するに、座席が奇数番号の場合、1号から始まって5、9、13、17、21号と4つおきの番号が窓際の席、偶数番号の場合2号から始まって6、10、14、18、22号と4つおきの番号が窓際の席となる訳だ。
 その座席へ行き腰を落ち着けたところ、横幅こそJRの在来線特急用車両と変わらないように思えるが、前後の間隔が大変広く足置きも装備されていて、日本のグリーン車並みである。ただ、テーブルがなく、窓の上部に取り付けられた読書灯は点灯しなかった。それとシート上部、ヘッドレストにかけられた布には、台湾政府観光局のキャラクター「喔熊」(オーション)、英語表記だと「OhBear」に加え、台湾鉄路管理局のキャラクター「鐵魯」(ティエルー)と「漢娜將」(ハンナーシァン)が3人揃って楽しげに自転車をこいでいる。
 指定された車両は付随車、モーターの付いていない車両ということもあるが、走行音はかなり静かだ。ただ、空調装置からであろうか、ディーゼルエンジンのような「ブロロロー」という音が始終している。

【セブンイレブンで購入した経典奮起湖弁当】
セブンイレブンで購入した経典奮起湖弁当
【経典奮起湖弁当の中身】
経典奮起湖弁当の中身

 自席について程なく定刻の8時13分となり、金属製の発車ベルが聞こえた後、列車は台北を発車。縦貫(ゾングァン)線を南に進んでいく。
 車内はうるさくないくらいに話し声が聞こえ、私の斜め後方からは日本語の会話も。そんな中、私はと言えば、まずは腹ごしらえということで、台北駅で買った弁当を。
 それで買った時には気がつかなかったのだが、弁当の商品名が「経典奮起湖弁当」となっていた。うち「経典」は確か伝統的とか古典的という意味だったと思うのだが、「奮起湖弁当」の方は、日本統治時代、台湾南部にある阿里山の森林資源を運搬するために敷設された鉄道で現在は観光路線になっている阿里山森林鉄路(アーリーシャンセンリンティエルー)の名物にもなっている駅弁のこと。現在、阿里山森林鉄路は、2009年の水害と2015年の台風によって受けた被害により部分的に運休しており、全線復旧は2021年とのニュースを昨年秋にインターネットで見た覚えがあるが、復旧した暁には是非とも乗りたい路線である。
 と、話が逸れてしまったが、意味あい的には、「昔の奮起湖弁当をイメージして作った弁当」くらいだろうか。ご飯の上には味付けされた豚肉と骨つきの鶏肉が載り、添えられた青菜の漬け物的なものやきんぴら的なもの共々、香辛料がさほど効いていない日本人にも食べやすい味付けで、これが悪くなかった。ちなみに食べ終わった後の容器は、タイミング良く回ってきたゴミを回収する職員に持って行って貰うことが出来たのだが、車内美化のためだけに職員を乗務させることに、日本との違いを感じる。

【車窓から見た河川の中の高圧鉄塔】
車窓から見た河川の中の高圧鉄塔
【車窓から見た建物と水タンク】
車窓から見た建物と水タンク
【車窓から見た富岡車両基地】
車窓から見た富岡車両基地

 弁当を食べていると、列車は最初の停車駅である板橋(バンチャオ)を過ぎ、その次で通過となる浮州(フーチョウ)手前までは地下区間を走行。地上に出てちょっと走ると桃園(タオユェン)に到着し、ここからも若干の乗車があった。
 弁当を食べ終わった後は車窓の風景を堪能するのだが、まだ旅の二日目とあって、私の旅に対する感度も良く、いろいろなものが目に飛び込んでくる。
 まず気がついたのは、高圧線が河川を横断する箇所。日本だと河川の真ん中に鉄塔が建っているのを見た記憶が無いのだが、当地では河川の中にコンクリート製の土台を設け、その上に鉄塔を建てている。
 次に気がついたのが、建物の屋上に設置されている水タンク。台北市内だと高いビルばかりで余り目立っていなかったのだが、車窓からちょっと引いて見ると、ビル、集合住宅、戸建てといったほとんどの建物に設置されているのが判る。ちなみに、日本だと沖縄県の建物には水タンクが設置されている事が多く、かつて水道の供給が不足していた頃の名残らしいが、台湾でも同様の事情によるものだろうか。また建物で同じくらい目立つのがエアコンの室外機で、古いコンクリート製建物の高い位置の、一見どうやって付けたか判らないような場所にも付いている。
 そして暫く経つと真新しく大きな車両基地が目に入ってきたが、これは現在台鉄と台湾政府で行われている、短距離輸送の改善計画「台鉄捷運化」のために作られた「富岡車両基地」。かつて台北市内にあった台北機廠の機能を一部移転する形で建設され、2014年から使用開始。また付近には真新しい駅も設けられ、周辺では現在も何か工事を行っていたようであった。

【車窓から見た新竹駅の駅名標】
車窓から見た富岡車両基地

 やがて列車は新竹(シンチュー)に、1分の遅れで到着。ここ新竹は、日本統治時代の1913年に完成した、台湾で最古の駅舎が残っている。列車は遅れを取り戻すため停車時間を短縮して、9時24分の定刻に発車した。
 新竹を発車後、車内検札で車掌がまわってきた。それで私の後ろの席、男女二人連れで、男性の方は当地のものではない言葉で女性に話し、それを受けて女性が車掌と話しているという感じだったのだが、何かトラブルでもあったのか、車掌は持っていた無線機でどこかとやり取りしている。もっとも、程なくして収まったようであるが。

【車窓から見た水田】
車窓から見た水田
【車窓から見た風車】
車窓から見た風車

 そうこうしているうち、列車は竹南(ジューナン)に到着した。これまで乗ってきた縦貫線だが、ここからこの列車の終点である彰化、正確にはその手前の大肚渓南(ダードゥシーナン)信号場までの間、海側の比較的平坦な場所を通過する「海岸(ハイアン)線」、通称「海線」(ハイシェン)と、勾配のきつい山間部を通過するが途中で台湾の市では第3位の人口を誇る(注1)台中(タイジョン、タイチュン)市の中心駅、台中を経由する「台中線」、通称「山線」(シャンシェン)に分かれる。
 元々縦貫線は、人口の多い台中市を経由するためと、有事の際に艦砲射撃によって被害が出るのを防ぐため、山間部に路線が建設された。しかしその後、貨物輸送の需要が増大し、積みきれない荷物が駅に山積みとなる事態まで発生したため、貨物列車を増やす必要に迫られたのだが、当時は勾配に弱い蒸気機関車しかなく、勾配のきつい山間部を通る路線に重量の重い貨物列車を増やすのは難しかったので、勾配の緩い海岸部に新たな路線を建設する事になった。かくして山線と海線が出来たのだが、山線が開業したのが1908年、海線が開業したのが1922年のことである。
 それでこの列車は海線を経由する。竹南を定刻の9時40分に発車した列車は、次の談分駅を通過。すると、車窓には、台湾来てから初めて目にすると思われる水田が現れた。その一部は田植えをした直後のようであったが、一部が熱帯にかかる台湾は、今頃が田植え時期なのだろうか。そして台湾海峡の海岸線に近づくにつれ、今度は巨大な風車が多数現れるようになった。
 このあたりは農業が産業の中心だが、季節風が強い海岸部では高価な畑作物は育たず、水田と牧畜を主としているらしい。だがその季節風を利用するため、風力発電所が出来たのであろう。

(注1) 台湾政府の2016年統計資料によると、台湾の市で一番人口が多いのは新北市の3,979千人で、第2位が高雄市の2,779千人、第3位が台中市の2,767千人、第4位が台北市の2,696千人となっている。(ただし、人口密度的には台北市が圧倒的1位。)

 一方この頃、車内はかなり空席が目立ち始めた。あと1時間程で終点の彰化に到着してしまうが、空いた車内でやっておきたいことがあった。
 というのも私の指定席がある2車は、付随車と言う台車にモーターが付いていない車両なのだが、私のような物好きにとって電車の魅力の一つに、列車が加減速する時のモーターや、モーターを制御するための装置から出る音がある。加えてこのEMU300型電車は、それらの音に加えて、吊り掛け駆動方式独特の、唸るような音が聞こえてくるはずだ。
 それで車内が空いた今、その音を堪能すべくモーターの付いた電動車まで移動し、台車付近の空席に座って耳をそばだてたのだが、ちょうど良い具合に加減速をしているにもかかわらず、モーターの音は判るもののそれを制御する音が聞こえてこない。加えて、吊り掛け駆動方式独特の音も、何か唸るような音は断続的に聞こえるものの、その音であるのかほとんど判らない状態である。もっともこの列車は、台鉄で一番高価な運賃の自強号用の車両であるので、客室の遮音はぬかりないのかもしれぬ。
 そんな中列車は大甲(ダージャ)に停車し、乗客がわりと下車した。電車的な音が最も聞こえるのは発車から加速する時なので、今度は客室よりも遮音が甘いであろうデッキでその音を聞こうとしたのだが、モーターの音はより聞こえた気がするものの、それ以外の音はほとんど聞こえない。
 狐につままれたような気持ちになり、洋式のトイレで用を足した後、一度自席へ戻った。しかし諦め悪く、最後の停車駅である沙鹿(シャールー)発車時にも別の電動車へ移動して耳をそばだてたが、やはり電車独特の音はあまり聞こえず、空調装置から出ている音の方が大きかった。

成追線

 109次自強号は定刻の10時50分から遅れることなく、彰化に到着した。終点まで乗り通した乗客はあまり居ないようであったが、降車客に混じって一度改札口を出る際、切符に「証明用」というスタンプを押して貰う。それによって切符を持ち帰ることが出来るのだが、本来は当地での税申告の際に使用済みの切符を添付するためのものらしい。だが私のような旅行者も、記念として持ち帰るために押して貰えるとのことである。
 その後、TR-PASSで再び入場しようとするのだが、出口用の改札口と入口用の改札口が結構離れているようだ。昨日は台北駅を別として、あまり大きな駅を利用していなかったので判らなかったのだが、ここ彰化駅のようにある程度大きな規模の古めの駅は、そのような構造になっているらしい。

 それで次に乗る列車は、11時00分発の、海線経由、新竹行き区間車。先程まで乗ってきた路線を逆行することになるのだが、これには訳がある。
 新竹から彰化の間が山線と海線に分かれているのは先に述べたとおりであるが、その2つの路線を短絡する路線が彰化側だけに有り、彰化の1つ手前となる山線の成功(チェンゴン)と海線の追分(ジュイフェン)の間2.2kmを結んでいる。この短絡線を、双方の駅名から1文字ずつ取って成追(チェンジュイ)線というのだが、この路線がくせ者で、列車本数が1日11往復と多くなく、加えて前後の乗り継ぎも立てづらいため、台鉄こと台湾鉄路管理局の旅客営業路線全線完乗を目指す者にとって、かなり厄介な存在となっている。実際、この旅のきっかけとなっている宮脇俊三氏の著書「台湾鉄路千公里」においても、当時は1日2往復と空に本数が少なかったこともあり、その日の宿泊地である台中市の滞在時間を増やすため乗車を諦めてしまっている程だ。
 だからこそかもしれないのだが、私は成追線に乗ってみたかった。なので計画を立てる際、「ニュー台湾時刻表」を何度もひっくり返しては乗り継ぎを調べたのだが、109次自強号で彰化に到着後、海線経由の区間車で1駅戻って成追線に乗車するのが、乗りたい109次自強号とセットで片付けられ、またその後の行程を含めて最も効率が良いようであった。ただし台鉄、特に長距離を走る列車は日常的に遅れているという話があり、加えてEMU300型電車は車両故障が多いとの話もあるので、乗り継ぎ時間が10分というのは、かなりリスキーな計画でもあったのだが。

【彰化駅に停車中の新竹行き2528次区間車】
彰化駅に停車中の新竹行き2528次区間車

 ともあれ、予定していた彰化11時00分発、新竹行き2528次区間車に無事乗ることが出来た。
 列車は韓国の大宇重工製であるEMU500型電車の4両編成。車内は全てビニール張りのロングシートで、先頭車に乗ったのは私だけだった。
 定刻に彰化を発車して、約8分で追分に到着。車掌が、客用扉の付近で何かの操作をしたと思ったら、扉が開いた。
 私を含め数人の乗客が下車したが、この駅には跨線橋は無いので、構内踏切を渡って改札口へと向かう。私も続いて出ようとした際、改札口に居た厳めしい顔の年かさの駅員にTR-PASSを見せたが、その駅員は表情を崩さず、反応も無かった。

【追分駅の駅名標】
追分駅の駅名標
【追分駅の駅舎(ホーム側から)】
追分駅の駅舎(ホーム側から)
【追分駅の駅舎(出入口側から)】
追分駅の駅舎(出入口側から)
【追分駅の待合室(窓口方向)】
追分駅の待合室(窓口方向)
【追分駅の待合室(改札口方向)】
追分駅の待合室(改札口方向)
【追分駅の改札口外側にある待合スペース】
追分駅の改札口外側にある待合スペース

 追分では、32分の待合で成追線の列車に乗り換え。時間がかなりあるが、海線、成追線、山線と乗り継ぐような乗客は一般的にいないと思われるので、接続が考慮されていない中での待ち時間としては我ながら上出来だと思う。
 逆に、この待ち時間を利用して、追分駅をじっくりと見られるのが嬉しいところだ。というのも、現在も使われている木造駅舎は、海線が開業した1922年に建てられた大変貴重なもので、台中市の古跡にも指定されている。ちなみに海線ではもう1つ、日南駅にも開業当時からの木造駅舎があり、どちらも観光地としてPRされているようである。
 その駅舎は、私にとっては懐かしいというよりも、どこか博物館の収蔵物を見るような感じのするものであったが、建物というのは一通り見てしまうと案外飽きるもので、小ぶりな駅舎をひととおり見終わって改札口外側にある待合スペースのベンチに座って時間を潰していたところ、先程の厳めしい顔をした駅員が話しかけてきた。
 といっても当然日本語では無く当地の言葉だったのだが、先に話しかけられた、私の横に座っていた女性の回答から「どこに行くのか」尋ねられていると思い、持参のノートに「成功」と書いて見せると、そのノートに震える手で、乗るべき月台の番号を書いてくれた。

【追分駅に進入する豊原行き2613次区間車】
追分駅に進入する豊原行き2613次区間車

【海線と分かれる】
海線と分かれる
【山線と合流】
山線と合流

 「謝謝」と言いつつ頭を下げてその月台に向かうと、成追線の列車が入線。海線の通霄(トンシャオ)駅始発で、成追線を通って山線に入り、台中過ぎて豊原(フォンユェン)まで行く2613次区間車で、その車両は初日に乗ったEMU800型電車の8両編成であったが、青色と黄色の塗り分けが初日の車両とは逆、車内も全ての車両がロングシートになっていた。
 列車は11時40分の定刻、1両に10人も居ないくらいの乗車率で追分駅を発車すると、程なくして海線と別れたと思ったのも束の間、すぐに山線と合流。
 何せ距離が短いので沿線に目立ったものは無かったが、台鉄捷運化の一環で、成追線の複線化工事が進んでいる模様。そして追分から約5分で到着した成功は、ホームの嵩上げ工事中であった。

【成功駅のホーム】
成功駅のホーム
【成功駅の駅舎(ホーム側から)】
成功駅の駅舎(ホーム側から)
【成功駅の駅舎(出入口側から)】
成功駅の駅舎(出入口側から)

 それでこの成功だが、縁起の良い駅名という事で、当地でも珍重されているらしい。もっとも、1905年の開業時は大肚(ダードゥ)といい、その後1920年、海線の部分開業に伴って王田(ワンティェン)に改称。更にその後の1967年、現在の成功に改称されたそうであるが。
 駅に到着後、次に乗る列車まで少々時間があったのと、駅舎の写真を撮りたかったので、跨線橋を渡って一度改札口から駅の外へ。写真を撮ってから戻ってきたのだが、この成功の駅舎は、日本で言うところの昭和レトロ的雰囲気で、個人的にはとても懐かしく感じた。後で調べたところ、この駅舎が作られたのは1968年とのことで、私よりも少しだけ年上であった。
 そして再び改札口を通って入場し、跨線橋を渡ってホームへ。すると後からベビーカーを押した若いお母さんといった感じの女性も入場してきたのだが、駅員が通常は業務用であろう線路を横断する通路に案内している。というのも通路のホームから線路に降りる箇所はリフトのようになっていて、それでベビーカーを上げ下ろしするようだ。日本とは安全に関する規則が違うとは思うのだが、成る程、という使い方である。
 そんな光景を眺めながら、ホームで待つ事暫し。ちなみにこの後は、山線の台中方面に乗るのは後回しにして、11時58分発の2153次、斗六(ドゥリュー)行き区間車に乗って、次の彰化からは縦貫線を南進して二水(アーシュイ)で降り、そこから分岐する集集(ジージー)線というローカル線を往復した後、自強号で台南(タイナン)へと向かい、更に沙崙(シャールン)線という短い路線を往復してから、宿泊地の高雄へと向かう予定となっていた。

【成功駅に進入する后里行き2334次区間車】
成功駅に進入する后里行き2334次区間車

 それでやって来た、EMU800型電車8両編成に乗車。車内は全ての席が埋まりドア付近には数人ほど立つ人も居る状態だが、次の新烏日(シンウーリー)で席が空いた。その後、列車は台中市の中心部を高架線で突っ切るのだが、さすがに台湾の市の中では第3位の人口を誇る台中市。その都市圏の広さはかなりのものと感心する。その中心の台中では、乗客の半数以上が下車した。台中を発車した後、建設中の新駅を通過したが、これも台鉄捷運化に伴うものであろうか。そして暫くすると、駅停車前の自動放送で最初に流れる音楽が、昨日、瑞芳(ルイファン)手前でも聞いた終着駅を表す別の曲になっていた。
 私と言えば、ここに来ても未だ、「あれ?この列車、二水駅の手前で運転打ち切りなの?」という大変間抜けな疑問を持ったのだが、その直後、「あ!間違って反対方向に行く列車乗っちゃってる!!」と、ようやく事態に気付く。成功で、予定していた11時58分発ではなく、それより前に来た11時56分発の2334次区間車、よりによって反対方向の后里(ホウリー)行きに乗ってしまったようだ。
 そして茫然自失のまま、列車は終点の后里に到着した。

【后里駅の駅名標】
后里駅の駅名標

(つづく)

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