たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

『探訪!日本100名城』 23/100城目 根城 【平成25年8月28日】

史蹟根城址の石碑

 だいぶ久しぶりの更新になってしまったのですが、そのネタは、もうすっかり「行ったの何時だよ」という感じ(あれからもう3ヶ月かぁ…。)の北海道・東北旅行から、旅の最終日に北海道の苫小牧から青森の八戸へとフェリーで渡り、朝ラーをいただいてから向かったこちらのお城です。


根城について

 根城は、青森県八戸市にある中世の平城。その築城は建武元年(1334年)で、築城したのは後に根城南部氏と呼ばれる一族の当主であった南部師行です。

 元々は甲斐国に所領を持っていた師行ですが、元弘3年/正慶2年(1333年)、新田義貞の鎌倉攻めの際には新田軍に加わり武功を立てたそうで。そのおかげか、後醍醐天皇による建武の新政が開始されると要職に就いたのですが、この年の10月、後醍醐天皇の皇子で陸奥太守となった義良親王(のちに後村上天皇)を奉じ、陸奥守鎮守大将軍を任ぜられた北畠顕家が陸奥国多賀城に下向した際に随行。そこで陸奥将軍府の一員となりました。で、その際、当時から駿馬の産地として知られ、四門九戸の制(詳細については省略しますが、郡内を東西南北の四つの門と、一から九までの戸に分けるもので、戸とは牧場の意であるとも。)がしかれていた糠部郡の郡代となり、八戸に入ったのですが、その際に、以前の領主である工藤氏の館を改装したとも、またそれとは別の地に築城したとも言われるのがこの根城。これは、南朝方の根本となる城という願いから名付けられたといわれているそうで。

 その後、まだまだ北条の残党が多かった当地でその鎮圧などに活躍したものの、延元3年/建武5年(1338年)、顕家と共に向かった和泉国石津での戦いで、北朝方の高師直の軍に敗北。顕家共々師行は戦死してしまいました。そして根城南部氏は、これまでも師行の留守に根城を守っていた弟の政長が継承。師行の遺言を守り南朝方に忠誠を誓い続けましたが、南朝の衰退と共に根城南部氏も弱体化。その後についてはちょっと複雑というか、調べれば調べるほど色々出てきて整理するのも大変なので詳細は省きますが、その後元々は同族である三戸南部氏が勢力を増し、南部氏宗家としての地位が、根城南部氏から三戸南部氏に移ったようで。そして時代は一気に飛んで安土桃山時代。天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐に際し、三戸南部氏当主信直が参陣。その後の奥州仕置の際に所領七郡を安堵されたのですが、それに際しては有力一族も家臣として宗家への服属を求められており、根城南部氏は三戸南部氏の配下とされたようで。(南部ではなく八戸と称していた当主の八戸政栄は、信直の小田原参陣に際して三戸の留守居を任されていたそうで。)そして、江戸時代に入った後、当時の八戸氏(根城南部氏)当主であった直政が世継ぎの無いまま急死。その際、南部宗家当主の利直は八戸氏の併合を目論んだらしいのですが、最終的には一族の新田家から婿養子を迎えて家名を残すかわりに寛永4年(1627年)に遠野へ移封となり、それに伴って南北朝時代から約300年続いた根城も廃城となってしまいました。

 そして現代に入り、昭和16年(1941年)、国の史跡に指定。昭和58年(1983年)より発掘調査が開始され、それらの成果に基づいて平成6年(1994年)には本丸主殿などが復元整備されました。

実際に行ってみた

 八戸港のフェリーターミナルから(途中でラーメンをいただきつつ)市街地の方へ向かって少々走ると、根城跡がある『史跡根城の広場』に到着。

【八戸市博物館】
八戸市博物館
 駐車場は隣接する八戸市博物館と共用。入口のところに聳え立つ銅像は、根城を築城した南部師行公です。で、まだ開館時間前だったので、根城を観た後にお伺いすることに。

【史跡根城ボランティアガイドハウス】
史跡根城ボランティアガイドハウス
 史跡根城の広場入口近くにあるのが、ボランティアガイドハウス。日本100名城スタンプラリーのスタンプはこちらで。(他に、前述の博物館と、後述する本丸の料金所にあるらしいです。)準備中なのに対応していただき有り難うございました。

【旧八戸城東門】
旧八戸城東門
 史跡根城の広場入口には、旧八戸城の東門が。ちなみに八戸城は根城とは別の城で、盛岡藩初代藩主南部利直が(根城南部氏(八戸氏)を遠野に移封した)寛永4年(1627年)に築城。その後の八戸藩分立により藩庁となりました。で、築城の際、元々根城にあった門を移築したという伝承もあるそうで。

【堀(1)】
堀(1)
 旧八戸城東門をくぐったところにある堀跡。現在はだいぶ埋まっていますが、元々はV字型の堀だったそうで。

【薬草園】
薬草園
 堀を渡って右手には、薬草園。当時使われたであろう薬草類が色々と。

【東善寺跡】
東善寺跡
 薬草園の奥には、かつて当地にあったとされる東善寺の跡地が。さすがにお寺の跡地だけあって、そこだけ空気が違うような気がしました。

 薬草園を過ぎると両側にはそれぞれ、実のなる木、鑑賞の対象となった木が植えてありますが、うっかりして写真を失念(説明板写真とツタだけで安心してしまった…。)。これらは発掘調査の結果、城内に植えてあったであろう木だそうで。その後、右手に堀を埋め戻して作ったという通路跡がありますが、これまた写真は失念(なに焦ってたんですかね。)。

【堀(2)】
堀(2)
 そのまま進むとまた堀を渡りますが、ここも元々はV字型の堀だったそうで。

【中舘跡にある四阿(あずまや)】
中舘跡にある四阿(あずまや)
【中舘跡から本丸方向を望む】
中舘跡から本丸方向を望む
 2つめの堀を渡ると中舘という場所に。ここには四阿があり、中では八幡馬という郷土玩具を作る体験ができるようで。(このときは平日だったせいか、はたまた時間が早かったせいかそういうのは無理なようでしたが。)また、2枚目の写真右に写っている白い物は根城の全体模型。それにしても、この辺りは芝生広場といった趣で、朝の空気と相まって気持ちが良かったですね。

【堀(3)】堀(3)

 中舘の奥は本丸なのですが、その間にはまた堀が。ここは元の深さまで掘り下げてあるんですかね?で、本丸は周りよりも1段高くなっていて周囲を木製の柵で囲まれているのですが、それらが写真からわかっていただけるかと。ちなみに、堀に架かる橋の右手にあるのが(本丸へ入る為の)料金所で、ここにも日本100名城のスタンプが置かれているそうで。

【本丸北門】
本丸北門
【本丸東門】
本丸東門
 料金所で料金を支払い、橋を渡って本丸へ。ちなみに、橋を渡ったところにある北門からではなく、そこから左手方向に折れたところにある東門から入ることになります。

【納屋】
納屋
【納屋の内部】
納屋の内部
 東門から入ったところには、納屋が復元されています。床面(土間)が地面から少しだけ掘り下げられた竪穴式の建物で、中々興味深い形ですね。ちなみに、本丸内の復元された建物は、どれも中に入ることが出来るようになっています。

【主殿】
主殿
【主殿の内部】
主殿の内部(1)主殿の内部(2)
 こちらが、根城の象徴あった主殿。重要な来客を迎えたり、様々な儀式が行われていたとのこと。で、儀式の関係か建物の中に『祈祷之間』があったのには驚きました。

【上馬屋】
上馬屋
【中馬屋】
中馬屋
【下馬屋跡】
下馬屋跡  
 主殿の脇には当主の馬が飼われていた上馬屋が。そしてその北側には来客の馬を繋いだとされる中馬屋があり、その西隣には夜間や冬季に馬が飼われていて倉庫を兼ねたとされる下馬屋の跡が。ちなみに、当地は駿馬の産地として知られ、それが現代にも馬の種類は違えど競走馬などの馬産地として繋がっているんだなぁ、と。

【物見跡】
物見跡
【番所】
番所
 本丸内の建物は、前述の馬屋もそうですが、一部は復元され、それ以外はこのような形で何があったかわかるようになっています。

【西門】
西門
【本丸西側の堀】
本丸西側の堀
 こちらは西門とその外側に残った堀。

【常御殿跡】
常御殿跡
 当主の生活の場所兼日常的な仕事場であったと考えられている常御殿跡。さしずめ根城の中枢といったところでしょうか。

【工房】
工房
【工房の内部】
工房の内部
 常御殿のすぐ隣にある工房は修繕中でした。(ですが中には入れました。)こちらも竪穴式の建物で、職人が鎧や弓などの修繕を行っていたと考えられているそうで。

【野鍛冶場】
野鍛冶場
【鍛冶工房】
鍛冶工房
【鍛冶工房の内部】
鍛冶工房の内部
 簡素な野鍛冶場は、鉄鍋や銅銭を溶かす作業をしていたと考えられているそう。また立派な鍛冶工房は例によって竪穴式の建物なのですが、床面が地面よりかなり掘り下げられていたのが印象的。その内部では、刀を始め鎧の部品、そして釘などが作られていたと考えられています。それにしても、前述の工房やこちらの鍛冶工房が本丸内というか御殿のすぐ近くにあるのがちょっと意外に感じたというか。

【奥御殿跡】
奥御殿跡
【板倉】
板倉
【井戸】
井戸
 当主の家族が住まったとされる奥御殿跡。また隣接する板倉には、奥御殿で使う生活道具が納められていたそうで。あと、井戸はこちらの他も、本丸内にいくつかありました。

【八戸市博物館前にある南部師行公銅像】
八戸市博物館前にある南部師行公銅像
 本丸内を堪能した後、史跡根城の広場を出て、先ほどは開館前だった八戸市博物館を見学。コンパクトながら中々に興味深かったです。個人的には、初めてのお城を訪れた際は、同時にその土地にある博物館なり歴史館なり郷土資料館にも立ち寄ると一層楽しめると思うのですが、このように隣接した場所にあるというのは立ち寄りやすくて良いですね。

感想とかまとめとか

 というわけで根城だったのですが、行く前は正直、「中世の城郭というか館跡」くらいの認識で、どの辺が見所がいまいちイメージ出来なかったにもかかわらず、実際に来てみると、本丸内の建物の復元具合がとても良い感じで、またその中に再現された城の暮らしが垣間見える展示も興味深かったです。そんなわけで、なかなかに見応えがあったというか、見て回るのがとても楽しかったというか。青森県の城というと、知名度や現存する建築物という点では(今回の旅の初日に訪れた)弘前城が一番だと思うのですが、実際に見て回って色々と妄想を膨らませることができるという点に関しては、個人的はこちらの根城も負けていないかと。こういう(失礼な表現だと思うのですが)掘り出し物的お城と出会えるのも、日本100名城めぐりの楽しさだなぁ、と改めて思いました。(あと、日本100名城スタンプの貰いやすさではこちらの圧勝!でした。)

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