趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
まずは、今回乗る東急多摩川線と、次に乗る目黒線、そしてそれらの前身である目蒲線についてちょっとだけ。
東急多摩川線は、多摩川駅と蒲田駅の間5.6kmを結ぶ路線で、起点と終点を含めた駅数は7駅。全線複線電化されています。ちなみに、「東急多摩川線」が正式名称ですが、一部列車の案内表示には東急が付かない多摩川線という名称も用いられています。そして目黒線は、目黒駅と田園調布駅の間6.5kmを結ぶ路線で、起点と終点を含めた駅数は7駅ですが、列車は田園調布駅から東横線の複々線区間に乗り入れ日吉駅まで(ちなみに目黒駅と日吉駅間の駅数は13駅、距離は11.9km。)直通運転されています。
で、この2路線は元々、現在の東急電鉄の前身のひとつである目黒蒲田電鉄が、大正12年3月に目黒駅と丸子駅(現在の沼部駅)の間8.3kmを目黒線として開業させ、続けて11月に丸子駅と蒲田駅の間4.9kmを蒲田線として開業。もっとも、蒲田線の開業時点で両線は統合され、目蒲線という名称になりました。
その後昭和14年(1939年)、目黒蒲田電鉄の姉妹会社であり東横線を擁していた東京横浜電鉄を吸収合併したものの、当時の社長というか偉大な経営者である五島慶太によって「東横線が我々の祖業」とされたため、社名は東京横浜電鉄となってしまいました。(その後、現在の東京急行電鉄に改称。)で、そこからが目蒲線不遇の時代というか、東横線や自ら沿線を開発した田園都市線には新車が投入され、それらは後に車体長20m級の車両が颯爽と走るようになったものの、目蒲線は車体長18m級の旧型車両が集められました。その時の状況を歌ったのが、昭和58年(1983年)に発売されたおおくぼ良太さんの『目蒲線物語』という歌。私は当時、鉄道好きの中学生だったのですが、テレビやラジオなどで何度か耳にし、「ぼくの名前は目蒲線 さびしい電車だ目蒲線 あってもなくてもどうでもいい目蒲線」という一節を、今でも覚えていたりします。
そんな目蒲線に転機が訪れたのが平成12年(2000年)。多摩川園駅(現在の多摩川駅)と田園調布駅の間で併走していた東横線の混雑緩和のため、東横線の一部複々線化工事と合わせて目黒駅と田園調布駅の間は大規模な改良工事(駅の地下化、連続立体交差化、そして駅ホームの20m級車両8両編成対応化など。)が実施され、その結果目黒駅から田園調布駅、そして多摩川駅を経て東横線の武蔵小杉駅(現在は延伸され日吉駅)まで直通する目黒線と、蒲田駅から多摩川駅を結ぶ多摩川線に運転系統が分離されました。
現在、多摩川線は池上線と共通運用される18m級車両3両編成の各駅停車が、平日ラッシュ時はおおむね3分間隔、平日デイタイムと休日はおおむね6分間隔で運行。目黒線は6両編成の急行と各駅停車が、平日ラッシュ時はおおむね3分間隔、平日デイタイムと休日はおおむね4分間隔で運行されています。ちなみに、両線とも全列車ワンマン運転で、特に目黒線は東急電鉄で初となるワンマンでの急行運転を行っています。
【蒲田駅改札口付近からホーム方向を望む】
【蒲田駅で発車を待つ多摩川行き各停】
【東急7700系電車の車内】
【車端部に貼られたプレート】
そんな多摩川線に乗ろうとホームに向かったところ、停まっていたのは、塗装を除けばかなりクラシカルな見た目の東急7700系電車。それもその筈この7700系は、日本初のステンレス車両として昭和37年(1962年)にデビューした東急 7000系電車(初代)の車体を利用(台車、電装品、内装は総取り替え)して昭和62年(1987年)から平成3年(1991年)にかけて改造された車両で、乗車した(3両編成の)真ん中の車両の車端部には、「昭和39年製造」「平成3年改造」というプレート(しかも、製造時のは東急電鉄の社章が古いタイプ。)が貼ってありました。
そのうち定刻となり、9人掛けのロングシートが半分くらい埋まる混み具合で発車。その際、クラシカルな外観とは不釣り合いなインバータ制御の音が床下から聞こえます。(平成3年の改造時に制御装置を電動カム軸式抵抗制御からGTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御に変更。)それにしてもこの車両、ロングシートの椅子が少々固いですね。また客層は、先程乗った池上線とは違ってスーツを着たサラリーマンが結構乗車。私の住む栃木だと、外回りはクルマがないとやってられないのですが、都会では時間が読める鉄道利用が多いんですかね。
それで蒲田駅を出発した列車は、先ほどの池上線の、蒲田駅寄りの区間と同じような景色の中を走行。というのも、地図で見ると、東急池上線と東京多摩川線は、環八通りを挟んで同じような区域を走っているんですよね。そんな中、矢口渡駅、武蔵新田駅、新丸子駅、鵜の木駅と、1~2分ごとに停車するのですが、地図上はどんどんと多摩川に近づいてきています。で、JR東海道新幹線と横須賀線の下をくぐって沼部駅あたりからだったでしょうか、多摩川越しに(多分武蔵小杉のあたりだと思うのですが)高層ビルが見え、程なくすると終点の多摩川駅に到着。蒲田駅からわずか11分だったので、あっという間というか、沿線の雰囲気を堪能する前に終わってしまったような気がします。
多摩川駅に到着後、今度は目黒線に。で、路線的にはここから上り目黒駅方面の列車に乗れば良いのですが、運転系統的には日吉駅からが目黒線として運転されているので、その日吉駅に敬意を表し、下り列車に乗って向かうことにしました。
それで日吉駅までは田園都市線の列車に乗っても良かったのですが、折角なので目黒線の列車に乗ることに。で、やって来たのは都営地下鉄三田線西高島平駅始発の日吉行き各駅停車で、その車両も東京都交通局6300形電車(6両編成)でした。ちなみに目黒線は、この列車のように都営地下鉄三田線の他、東京メトロ南北線を介して埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線との相互直通運転を行っています。
その先頭車最前部に乗車。多摩川駅を出発した列車は長くて立派な鉄橋で多摩川を渡り、終点の日吉駅まで複々線区間を走るのですが、一部用地の関係か上が外側線、下が内側線と二階建てになっている箇所があるんですね。で、そんな箇所にさしかかったところで列車はスローダウン。元住吉駅の手前で車庫に入る電車が遅れている影響だそうで。そのため、1~2分遅れて日吉駅へと到着しました。
日吉駅では一度改札口を出て、その際Suicaで五反田駅からの運賃216円を支払います。で、駅舎を出ると、目の前には目玉のようなオブジェ(虚空自像と言うらしいです。)が。そして右手には、慶応大学日吉キャンパスが広がっているのですが、そういえば駅周辺にはそれっぽい人達が多数いますね。
今回の東急電鉄乗り鉄の最後となる列車は、東京メトロ南北線直通となる赤羽岩淵行きの急行列車。目黒駅まで行ければどの列車でも良かったのですが、この次の予定を考えると、南北線直通列車の方が都合良かったので。で、その車両は東京メトロが営団地下鉄の頃に製造を開始した南北線用であり、東急・埼玉高速鉄道直通用の9000系という形式。乗車したのは6両編成の先頭となる9102という車両なのですが、これは平成3年(1991年)の南北線開業時に投入された編成となります。で、この列車も最前部の窓から前方を眺めようと。
【武蔵小杉駅進入】
【再び多摩川を渡る】
【田園調布駅進入】
やがて定刻となり日吉駅を発車した列車は、東横線複々線区間の内側を走行。複々線の場合、外側を急行列車、内側を各駅停車というふうに列車の速度によって分ける緩急分離という方法もある(先日乗った日本の私鉄では一番長い東武鉄道の複々線区間もそうでしたが。)のですが、こちらは外側を東横線、内側を目黒線の列車が走る系統分離という分け方で、しかも、同方向の列車は同一ホームで乗り換えられるようになっています。それで元住吉駅を通過後、最初の停車駅である武蔵小杉駅に停まり、そして新丸子駅を通過して再び多摩川を渡り、先ほど乗り換えた多摩川駅に停車。その次の、目黒線大規模改良工事に先立って地下化された田園調布駅から、路線名の上での目黒線の旅が始まります。
【田園調布駅発車直後】
【奥沢-大岡山間】
【洗足駅通過直後】
【不動前駅進入】
【不動前-目黒間】
しかしその目黒線。大規模改良工事によってその大半が地下化されており、車窓(今回は前面展望ですが)を楽しめる区間はわりと限られています。具体的には田園調布駅を出てから急行列車は通過となる奥沢駅と、そしてその次の急行列車停車駅となる大岡山駅までは地上を走るのですが、その大岡山駅を出ると(ちなみに、大岡山駅で運転席直後のブラインドが降ろされました。)急行通過の洗足駅まで地下を走り、洗足駅を出た後でちょっとだけ太陽が見えたと思ったらすぐに潜り、急行通過の西小山駅を経て急行停車の武蔵小山駅の先、急行通過の不動前駅手前までが地下区間。で、次の、路線上は起点となっている目黒駅手前でまた地下区間へ、という感じでした。ただ、そのわずかな地上区間には、少ないながら踏切も残り、昔の目蒲線の雰囲気をちょっとだけ感じられる気がする(元の目蒲線に乗ったことがないので、あくまでも「気がする」ですが……。)、という印象です。
やがて列車は目黒駅に到着。運転手が交代して東京メトロ南北線に入ります。で、これまで前ばかり見ていて気がつかなかったのですが、目黒駅到着時点で列車は結構な混雑だったよう。その目黒駅で乗客がわりと入れ替わり、次の白銀台駅では欧米系の外国人が大挙して乗車。何ていうか、さすがは大都会東京という感じですね。そして、白銀高輪、麻布十番、六本木一丁目と高級そうな駅名が続き、溜池山王駅に到着。改札内でつながっている国会議事堂前駅から、東京メトロ千代田線に乗り換えます。
東京メトロ千代田線に乗り換えて向かうは、その千代田線が相互直通運転を行っているJR常磐線の我孫子駅。我孫子駅のホームには、鉄道好きや立ち食いそば好きの間でちょっと前から有名な、巨大な唐揚げが載ったそば(うどん)を出す立ち食い店、『弥生軒』があるんですよね。で、個人的にも一度いただいてみたかったのですが、我孫子駅に行く機会がこれまでなかったというか。ですが今回、千葉県船橋市に午後から用事があるのをいいことに、やや強引に我孫子まで行ってしまおうかと。
本来の予定では、綾瀬駅から12時12分発の我孫子行き普通列車に乗り換える筈だったのですが、ホームで待っていると、その1本前の、12時7分発綾瀬行き普通列車が約2分遅れで入ってきました。で、車内は空いており確実に座れそうだったので乗ってしまうことに。(実はこの時、ちょっと一休みしたかったんですよね。)ちなみにこの時は、この列車だけではなく千代田線のダイヤが乱れていたようで、この後、後続列車遅れのための時間調整のため日比谷駅や大手町駅でも停車。それで遅れは広がったのですが、その遅れている後続列車こそ本来乗るべきというか、綾瀬駅から乗り継ぐ予定なので。
結局後続の列車は、約7分の遅れで綾瀬駅に到着し、ほぼそのままの遅れで我孫子駅に到着。もっとも、ここで5分や10分遅れたところで、この後の予定には全く影響ないんですがね。
我孫子駅で列車を降り、改札口を出る際にSuicaで運賃の882円を支払。そして再び改札口を入り、4・5番線ホームに。お目当ての弥生軒は、下り線の1・2番線ホームと上り線の4・5番線ホームにお店があって、そのどちらでも良かったのですが、次に乗るのが上り列車のため、上り線ホームにある5号店でいただくことにした次第。
平日の午後1時過ぎと、あまり混むような時間帯ではないと思っていたのですが、狭い店内は先客でわりといっぱいという感じ。それで注文は、店内の券売機で食券を買う方式なのですが、ここでちょっと悩むことに。というのも、唐揚げそばには載る唐揚げが1個(400円)と2個(540円)があり、その暴力的な量から2個載せが人気らしいのですが、この後の予定を考えるとあまりお腹いっぱいにしたくないという気持ちもあり、結局のところ今回は、1個載せの食券を購入しました。
食券提出後、程なくして登場したその唐揚げそば。実際に目の当たりにすると、その唐揚げの大きさに思わず笑ってしまうというか。それで早速、その巨大な唐揚げの脇からツユを啜れば、黒々とした見た目どおり醤油が濃いめ。加えて甘味はやや効いてます。また出汁感はあまりないのですが、濃口醤油の風味で食べさせる、昔ながらの味っぽくて個人的には好きですね。それと白っぽいソバは茹で麺で、プリっとした歯切れとフワっとした食感。個人的には茹で麺好きなので、これも良い感じ。そして具の唐揚げは、箸で持つのにとても苦労する重量感。厚めの衣はカリっとクリスピーで、下味はショウガ醤油でしょうか?分厚い鶏肉はしっとりと。ツユとの相性も悪くないというか、衣にツユが染み込むにつれ、味が馴染んでいくように感じました。
というわけで、ようやくいただくことができて満足したのですが、同時に、1個載せで満腹になってしまったという。でもいつか、また我孫子駅を訪れて、是非とも2個載せチャレンジしたいですね。
今回の乗り鉄、そして駅そば活動はこれにて終了。限られた時間だったのですが、なかなかに充実していたように感じました。それでこのあとは、JR常磐線快速、東武野田線、京成電鉄と乗り継いで、船橋市内の用務先へ。
その用事が終わったら、今度は京成電鉄、小田急小田原線直通の東京メトロ千代田線を乗り継いで、本日メインの用務先へ。
その用事が終わったら、小田急小田原線、JR中央線と乗り継いで東京駅へ。我孫子駅の唐揚げそばで満腹となり、その後も次の用足しがてらちょこちょこと飲み食いしていたのですが、最後の用事を終えたこの頃にはすっかりと空腹に。でも最終の新幹線に乗る前に、駅弁と缶チューハイを買う時間はありそうです。
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