たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

四稜郭 【平成25年8月26日】

史跡四稜郭の石碑(木が邪魔で正面から撮れませんでした…。)

 館城を訪れた後。この日の主な目的(の1つ)である五稜郭に向かう前に、ちょっと寄っておきたいところが。それが、同じ函館市内にある、この四稜郭。こちらも館城同様、五稜郭にお伺いするにあたって色々と調べていた時、その存在を発見し興味をそそられたというか。


四稜郭について

 四稜郭は、北海道函館市にある、旧幕府軍が築いた軍事施設。現在は国の史跡に指定されています。

 戊辰戦争の際に五稜郭に入場し箱館を占拠、その後蝦夷地を平定した旧幕府軍は、明治元年(1868年)12月、当地に榎本武揚を総裁とする政府を発足させました。しかし新政府は、旧幕府軍を掃討すべく、翌明治2年(1869年)雪解けを待って蝦夷地へ。4月9日に1500名が江差の北に上陸したのを皮切りに続々と押し寄せ、旧幕府軍は箱館へと後退を余儀なくされていました。

 そんな中いくつかの防御陣地が築かれたのですが、そのうちの1つがこの四稜郭。4月下旬頃、五稜郭と、鎮守府である東照宮を防御するため、五稜郭の北約3kmの緩斜面台地に、洋式築城法により構築された星形要塞。旧幕府軍約200名と地元民約100名を動員し、昼夜問わずの突貫作業で数日のうちに完成させたのですが、その指揮については陸軍奉行の大鳥圭介、もしくは大鳥を補佐していたブリュネ大尉(江戸幕府陸軍の近代化支援のため派遣されたフランス軍事顧問団の一員として来日し、その後榎本武揚率いる旧幕府軍に参加。)が執ったとものこと。

 で、完成した四稜郭ですが、その形状はよく「蝶が羽を広げた姿」と例えられ、大きさは東西約100m、南北約70mほど。その外周には幅5.4m、高さ約3mの土塁と、更にその外側に幅2.7m、深さ0.9mの空堀が巡らされました。また四隅には砲座が配置され、南西側には門口が設けらました。しかし内部には建物や籠城に必要な井戸はなく、あくまでも急造の堡塁というか。

 そして5月11日。とうとう新政府軍の箱館総攻撃が開始されます。四稜郭も早暁に攻撃を受け、松岡四郎次郎率いる一隊が防戦していましたが、攻め手の数が増え、また五稜郭との中間に位置する権現台場を新政府軍に占領されると、退路を断たれることを恐れ五稜郭へと撤退。その後、5月18日に旧幕府軍は無条件降伏し、戊辰戦争は終結しました。

 その後、昭和9年(1934年)に国の史跡に指定され、昭和47年(1969年)から約4年をかけて旧亀田町(現在は函館市に合併)が土塁等を修復し周辺を整備。さらには平成2年(1990年)にも函館市が再度整備工事を実施するなどして現在も保存されています。

実際に行ってみた

 館城から大野国道へと戻り、中山峠を越えて函館市内へ。カーナビ(代わりのスマートフォンアプリ)の指示どおり走り、残りの距離でだんだん四稜郭へと近づいてきているのは判ったのですが、その指示でかなり細い道へ。不安になりつつもそのまま進むと、なんと四稜郭の裏手の方に来てしまいました…。気を取り直して(方向転換するようなスペースが無かったので)バックで(途中まで)戻り、元の道に戻ってちょっと走ると無事到着。そこには、立派な駐車場やトイレが整備されていました。

【入口の案内看板】
入口の案内看板
 駐車場から四稜郭への入口に有る看板。四稜郭の形状がよくわかるかと。また諸注意も書いてありますが、その中には「一、土塁等に登らないこと」とありますので。

【土塁越しに見た郭内】
土塁越しに見た郭内
 まずは土塁の外側から眺めてみたのですが、こちらは南東方向の土塁越しに見た郭内。内側の土塁には途中に段差が設けられているのですが、その段差の上に登って土塁越しに射撃したんですかね。

【東隅の土塁】
東隅の土塁
【北隅の土塁】
北隅の土塁
 これらは隅の部分の土塁。ちなみに土塁の高さは築かれた丘に対して一定ではなく全体的に傾斜しているので、同じ隅でも高さがだいぶ違います。あと、土塁の高さは約3mとなっているのですが、土塁のみの高さでは無く、土塁が築かれた丘の麓からの高さですかね。

【南西側にある門口】
南西側にある門口
【郭内から見た門口】
郭内から見た門口
 南西方向の土塁には、枡形虎口を持つ門口が。

【西隅から見た郭内】
西隅から見た郭内
 郭内四隅は砲台となっているのですが、五稜郭と同じくスロープ状になっています。それにしても、郭内に入るとかなり狭く感じるというか、ここで長期に渡って防戦するのは辛そうですね。

感想とかまとめとか

 というわけで四稜郭だったのですが、当時の堡塁というか防御陣地が現在もハッキリと残っているのはかなり珍しいですし、また興味深く見せていただきました。ですが、函館総攻撃の際には激しい戦闘が行われたと思うと…。特にここはお城ではなく純粋に軍事施設なので、更に生々しく感じるというか。もっとも、現在は地元の人たちに公園として利用されているようで、親子がキャッチボールしていたり、駐車場に停まっていた営業車の中ではお疲れのリーマンが一休みしていたりと、実に平和(あ、後者は違うか。)だったのですがね。

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