趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
平成21年9月27日(日)に、所用で大阪に行ったのですが、今回は一人で行ったのをいい事に、ついでに阪堺電車の全線と南海電車の通称汐見橋線などに乗ってきました。
【柳田車庫停留所で発車を待つとちの木号】
【とちの木号の車内(2階)】
今回大阪までは、関東自動車と近鉄バスが共同で運行する深夜バス(夜行高速バス)『とちの木号』で。途中、首都高速で渋滞に捕まった時は翌日の予定が心配になってちょっと焦った(実際、途中の京都までは若干遅れた。)のですが、その後降車客のいないバス停いくつか通過したおかげで、終点のあべの橋バスステーションには定刻より3分ほど早着。今回は愛媛の時のような変な外国人もいなくて、おまけに車内はかなり空いていたこともあり、わりと快適に過ごすことができました。
【あべの橋停留所に到着したとちのき号】
【工事中の天王寺駅】
【南海そば天王寺店でいただいたうどん】
あべの橋バスステーションに到着後は、あびこ筋を挟んで向かい側のJR天王寺駅へ、歩道橋を渡って移動。天王寺駅は、今、改修工事中なのか、建物の外側が白い覆いで囲まれていました。で、その天王寺駅構内にある『南海そば天王寺店』で朝食。何ていうか、ここいらへんの立ち食いうどんて、うまいですよねぇ。そしてその後は再びあびこ筋を歩道橋で越え、今回の試合以外の第一の目的である、阪堺電車の天王寺駅前駅へと向かいました。
【天王寺駅前停留所で発車を待つ住吉公園行き】
【604号の車内】
最初に乗るのは、阪堺電車の上町(うえまち)線。大阪市阿倍野区の天王寺駅前停留所から大阪市住吉区の住吉公園停留所を結ぶ4.6kmの路線です。なんでもそのルーツは明治33年(1900年)に天王寺西門前-東天下茶屋間に開業した馬車鉄道(大阪馬車鉄道)で、その後の改軌、電化、路線延長、一部区間の大阪市電への譲渡、経営会社の変更などを経て今に至る路線だそう。
で、1日乗車券を購入後、その上町線全線を走破する住吉公園行きに乗車。車両はモ601形という形式で、平成8~10年に製造された新しい車両ですが、一部の部品(制御装置、ブレーキ、営業機器)に以前廃車となった車両の物を流用しているそうです。
天王寺駅前停留所を発車した列車は、併用軌道であべの筋を走行。じつはこの道、今から20年以上前に通学のため歩いていたところなので、ちょっと感慨深かったりして。その後、松虫停留所の手前から専用軌道に入り、北畠停留所の手前でまた併用軌道へ。この辺りは、先程のあべの筋と較べると、道もさほど広く無く、高層マンションの類もない住宅街なので、だいぶ雰囲気が違いますね。その後、帝塚山四丁目停留所からは再び専用軌道に入り、築堤で南海電鉄高野線をオーバーパス。そして住吉停留所で阪堺線を併用軌道で平面交差すると、ほどなくして終点の住吉公園停留所に到着。ちなみに車内は、日曜の朝とあってか、終始空いていました。
というわけで、約17分の短い旅でしたが、沿線風景は変化に富み、とても面白かったです。
【松虫停留所の手前から専用軌道へ(最後部の窓から撮影)】
【松虫-東天下茶屋間の専用軌道(最後部の窓から撮影)】
【北畠停留所の手前から再び併用軌道へ】
【とってもシブい姫松停留所の待合室】
【住吉停留所で阪堺線を平面交差】
【住吉公園駅に到着した列車】
平成28年(2016年)1月31日をもって、上町線の末端区間である、住吉-住吉公園間が廃止になってしまいました。その理由として、この記事の際に乗車しただいぶ後の平成26年(2014年)3月のダイヤ変更で、天王寺駅前-住吉公園間の運行の殆どを天王寺駅前-我孫子道間に変更したことにより、当該区間はほとんど列車が走らない区間になっていたのですが、その一方、住吉-住吉公園間の線路が敷設後60年近く経過し、住吉交差の併用軌道や住吉公園停留場構内のポイント部の老朽化が進行。改修には数億円規模の費用が必要となるため、廃止となったそうです。
住吉公園停留所で下車した後は、渋い雰囲気で歴史を感じる商店の並ぶガード下を抜け、隣接する南海電鉄南海本線の住吉大社駅へ。ここから、次の目的である汐見橋線(通称)の乗換駅である岸里玉出駅に向かいます。
とりあえず、やって来たなんば行きの普通列車に乗車。7100形という形式の車両でした。で、発車するあっという間に、2駅と先の岸里玉出駅に到着。
【岸里玉出駅に停車していた汐見橋線の列車】
【岸里玉出駅の駅名標(汐見橋線)】
南海電鉄というと、大阪は難波を起点に和歌山、そして高野山へ向かう鉄道というイメージがあるのですが、その高野山へ向かう路線(高野線)の起点は、正式には難波駅ではなく、本来はこれから向かう汐見橋駅とのこと。というわけで、これから乗る路線は、汐見橋線という通称で呼ばれているものの、正式には高野線の一部となるそうです。ただし、現在では高野線とは物理的に繋がっておらず(ちなみに、南海本線と線路は繋がっているが直通列車は無し。)、ほぼ隔絶された複線の線路の上を、1本の列車が30分間隔で折り返して走る支線のような存在になってしまっているそうです。
その通称汐見橋線の列車は、1面1線の独立したホームに2両編成の電車がポツンと停まっていました。車両は2200形という形式で、元々は高野線の山岳区間直通運転用車両(ズームカー)でしたが、現在は支線用として使われています。また、この区間はワンマン運転されているそうです。
と、例によって長い前振りとなったのですが、定刻となり10人くらいの乗客を乗せ発車。左にカーブすると複線になり、高架から地上へ。その後は終点の汐見橋駅まで大阪の下町を粛々と走るのですが、車内及び沿線の雰囲気というか佇まいは、都会のエアポケットというか、トワイライトゾーンというか、この路線の沿線だけ刻が止まっているかのような感覚がありました。もっとも、これは乗客の少ない日曜の朝だったことも大きいと思いますが。
【汐見橋駅の駅名標】
【汐見橋駅の駅舎】
【汐見橋駅の待合室(改札口上部には昭和30年代の南海電鉄沿線観光案内図が!)】
汐見橋駅は、元々はターミナルであったと思わせる頭端式ホームを持つ駅で、改札口の上部の壁には、この駅舎が建てられた昭和30年代当時の『南海沿線観光案内図』がボロボロになりつつも残っていました。
駅舎の外に出てみると、目の前には広い千日前通りがあり隣には出来立てでピカピカの阪神なんば線桜川駅の出入り口が。
何ていうか、この路線の沿線同様、この駅だけ刻が止まっているかのような感覚です。
汐見橋駅からは、折り返しの岸里玉出行きに乗車。もっと堪能したかった通称汐見橋線ですが、次の予定もあるので、後ろ髪を引かれる思いで次の芦原町で下車。この雰囲気が残っているうちに、是非もう一度来てみたいですね。
【最後尾の窓から1 汐見橋駅を後に】
【最後尾の車窓から2 阪神高速に沿って】
【芦原町駅の駅名標】
【芦原町駅の駅舎】
芦原町駅で降りた後は、そこから程近いJR大阪環状線の芦原橋駅まで徒歩で移動。それにしても、最近はネットの普及、特にGoogleマップなどの地図サイトのおかげで、このように隣接はせずとも乗り換えが可能な駅というものが簡単に判って、大変便利になったなぁ。
駅構内の貼り紙に驚いたりしつつ、丁度やって来た大阪環状線内回りの列車で2駅先の新今宮駅まで。今から20年以上前に大阪に住んでいた時には何度となく利用した大阪環状線ですが、そこを走る車両は、当時と同じ103系電車。もっとも、当時はまだ国鉄仕様というか製造当時と変わらない姿だったのですが、大幅な延命(体質改善40Nでしょうか?)工事のお陰で、外装や車内がだいぶモダンになっていましたが。
新今宮駅で降りた後は、隣接するはずの阪堺電車の南霞町停留所に向かおうとするも、地図を持っていたにもかかわらず、間違えて駅の周りをほぼ一周してしまいました。それにしても、この辺りは昼間でもヤバい雰囲気があるというか、路上には出所不明の様々な品(ただし、物自体はあからさまに危険な品ではありませんが)を並べて売る人が並んでいたり、余所者感全開で歩いていると目付きの怖い人に見られるような感覚があったり(こちらの思い過ごしかもしれませんが)、興味深い場所ではあるのですが、物見遊山していい場所じゃありませんね。
と、中途半端な箇所で区切ることになってしまったのですが、ここまででだいぶ長くなりましたので、今回はこのへんで。そして次回は、残りの阪堺電気軌道に乗車します。
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