たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

『探訪!日本100名城』 20/100城目 弘前城 【平成25年8月24日】

史跡弘前城跡の石碑

 久保田城を見た後、途中で前の記事で書いたラーメンをいただきつつ向かったのが、青森県弘前市にある弘前城。ここは説明不要の有名なお城ですね。


弘前城について

 弘前城は、青森県弘前市にある梯郭式平山城で、城跡は国の史跡。桜の名所としても有名ですね。

 その築城ですが、元々は南部氏の支族であった大浦氏の養子となり、戦国時代の末に南部氏内部に起こった争いを機に周辺の豪族を滅ぼして津軽一帯を手中に収め、そして豊臣秀吉の小田原征伐に参陣するなどして4万5千石の所領安堵の朱印状を受け、更には関ヶ原の戦いで徳川家康に味方して戦後2千石を加増されるという、一代にして弘前藩初代藩主となった津軽(大浦)為信が、これまでの居城であった大浦城、堀越城(両方とも同じ弘前市内にあったそうです。)に替わる新たな居城として、慶長8年(1603年)に鷹岡というところに築城を開始。

 しかしその翌年、為信は京都で病床に伏していた嫡男を見舞うために病身をおして上京したのですが、為信の到着前に嫡男は亡くなり、為信自身も京都にて病死。築城は中断してしまいました。ですが、2代藩主となった信枚(信牧)が、慶長14年(1609年)に築城を再開。その際、堀越城、大浦城の遺材を転用し、その翌年、1年1か月という早さで鷹岡城がほぼ完成しました。その後、寛永4年(1627年)に落雷で天守(5層5階と大変立派だったそうで)を焼失。その翌年に城の所在地である鷹岡を、信枚の帰依する天海大僧正が名付けた「弘前」に改称し、城名も弘前城となりました。以降、200年近く天守のないまま、弘前藩主津軽氏の居城となっていたのですが、文化7年(1810年)に9代藩主である津軽寧親が幕府に願い出、現在の3層3階の御三階櫓(天守)が建てられました。

 そして明治に入ると城とその土地は陸軍省の管轄となり、明治4年(1871年)東北鎮台の分営が置かれたものの、明治6年(1873年)に廃止。城も廃城令により廃城処分とされ、本丸御殿や武芸所等が取り壊されました。その後明治27年に旧藩主である津軽氏の申出により城地の一部が弘前公園(のちに皇太子であった当時の大正天皇により『鷹揚園』と命名されたそうで。)として解放され、明治36年(1903)から城内に桜が植樹されるようになりました。明治39年(1906年)には北の郭の「子の櫓」と西の郭の「未申櫓」の櫓2棟が焼失してしまったのですが、昭和に入って12年(1937年)、現存している建造物のうち三の丸東門除いた8棟が旧国宝(現在は重要文化財)に指定。残った三の丸東門も、昭和28年(1953年)に国の重要文化財に指定されました。

実際に行ってみた

【正面は弘前城】
正面はもう弘前城
【追手門広場から見た三の丸追手門と外濠】
追手門広場から見た三の丸追手門と外濠
 東北自動車道の大鰐弘前ICから国道7号やら途中から県道を走って、約20分程で弘前市内へ。で、追手門前にある弘前市立観光館の地下駐車場にクルマを停めたのが午後3時50分過ぎでした。

【三の丸追手門】
三の丸追手門
 早速、国重文の追手門をくぐって城内(三の丸)へ。ちなみにここを含め、弘前城の現存する5つの門は、築城時のものだそうです。それにしても、土塁と門の組み合わせって、とっても良いというか、個人的に好きなんですよね。

【日本100名城スタンプの案内】
日本100名城スタンプの案内
【城内の案内図】
城内の案内図
【三の丸】
三の丸
 門を過ぎたところにあった城内の案内板を見たところ、「『日本100名城(弘前城)』のスタンプは、緑の相談所においてあります。」との貼り紙が。事前に調べた情報だと、確か、天守内の弘前城史料館にあった筈では。それで隣の案内図を見たところ、緑の相談所って、天守よりもちょっとばかり奥にあるなぁ、と、この時はそれくらいの認識でした。で、とりあえずは通りすがりに門とか櫓をチェックしつつ進むことにして、城の奥へ。それにしても、夏の終わりの夕暮れ時という時間帯も良かったのか、落ち着いて良い雰囲気の城内というか。

【二の丸南内門】
二の丸南内門
【二の丸未申櫓】
二の丸未申櫓
【二の丸辰巳櫓】
二の丸辰巳櫓
 杉の大橋を渡り、国重文の南内門をくぐって二の丸内へ。そして向かって左手方向にあるの未申櫓、右手方向にある辰巳櫓とこれまた国重文の櫓2基を見学。で、ここで時刻は午後4時20分。予想以上に時間が掛かっているというか、このあたりまで来て、このままのペースだと100名城のスタンプを貰ってから天守を見るには時間的にヤバい感じがしてきました。(’スタンプが置いてある緑の相談所が何時まで開いているのか判りませんでしたし。)なので、とりあえず急いで緑の相談所へと向かうことに。

【二の丸東内門】
二の丸東内門
【緑の相談所】
緑の相談所
 というわけで、これも国重文の東内門をくぐって再び三の丸へ。そして急ぎ足で緑の相談所へ。先ほどからここまで5分ちょっと掛かりました。で、とりあえずスタンプをいただいてから、今度は急ぎ天守へ。

【内濠と天守】
内濠と天守
【天守】
天守
【記念撮影用?の看板と天守】
記念撮影用?の看板と天守
【下乗橋と天守】
下乗橋と天守
 再び東内門をくぐって二の丸へ戻り、下乗橋を渡って本丸へ。本丸と隣接する北の郭は有料エリアとなっているので南口券売所で入園料を支払い、まずは弘前城史料館となっている天守(御三階櫓)内部へ。午後5時までには一通り見ることが出来ました。で、ここからは、時間に急かされずにゆっくりと見学。それでまずは天守ですが、御三階は実際に観ても写真の印象と同じかなりのコンパクトさ。それと、天守基部付近の石垣に膨らみ(痛み)が見つかったので、平成27年(2015年)夏に天守を曳家で移動させ、平成28年(2016年)から修繕を行う予定とのことです。

【本丸】
本丸
【本丸入口の虎口】
本丸入口の虎口
【虎口付近の石垣】
虎口付近の石垣
  そして天守付近の本丸ですが、虎口には低い石垣が残っていて、その脇には「亀石」との看板が。ちなみにこの本丸は、本丸御殿や御武芸所や能舞台などかつては敷地の約7割に建物があったそうで。(建ぺい率すごそうですね。)

【二の丸東門与力番所】
二の丸東門与力番所
 本丸から三度二の丸に戻り、まず見たのが、二の丸東内門近くにある二の丸東門与力番所。城跡が公園になってからは公園管理人宿舎・作業員詰所として使われていたのですが、昭和54年(1979年)から昭和56年(1981年)にかけて、文化庁の協力の下、現在地に移築復元されたそうで。

【東内門外橋(石橋)】
東内門外橋(石橋)
【二の丸と三の丸の間の中濠】
二の丸と三の丸の間の中濠
【中濠にいたコブハクチョウ】
中濠にいたコブハクチョウ
 スタンプを貰う時に一度渡っているのですが、再び東内門外橋を渡って三の丸へ。ちなみにこの東内門外橋ですが、城内唯一の石橋だそうで。あとこの橋が架かっているお堀にハクチョウがいたのですが、よく見ると外来種であるコブハクチョウでした。

【三の丸東門】
三の丸東門
【東門付近の外濠と土塁】
東門付近の外濠と土塁
 こちらが1つだけ遅れて国重文に指定された三の丸東門で、ここから城外へ。ちなみに付近には高校とかNHKがあります。

【二の丸丑虎櫓】
二の丸丑虎櫓
 東門を観た後は、来た道を引き返して4度目の二の丸へ。何故戻ったのかというと、二の丸にある国重文のこちらを見逃していたからでして。それにしても、二の丸に残る国重文の3つの櫓ですが、一見どれも同じように見え、実は細部が微妙に異なっているとのこと。

【旧賀田御門跡】
旧賀田御門跡
【四の丸】
四の丸
 三の丸北門にあたるのが賀田門(跡)。ちなみに築城当初は北門が表門だったそうで、こちらには賀田城の別名を持つ大浦城の大手門を移築したそうです。そして賀田門を過ぎ、賀田橋という小さい橋を渡ると四の丸へ。それにしても、城跡で「四の丸」なんて案内看板初めて観た気がします。

【北門(亀甲門)】
 北門(亀甲門)
【亀甲橋から北門を望む】
亀甲橋から北門を望む
 四の丸を抜けると、元々の表玄関である北門へ。この北門も国重文に指定されているのですが、元々は津軽為信が攻め取った大光寺城の追手門を移築したもので、戦を経験していない弘前城の中では唯一、矢傷など戦いの跡があるそうで。

【青森県護国神社】
青森県護国神社
 四の丸には、青森県護国神社があるので、帰りにご挨拶を。そしてこの後は、同行者と自分の疲れ具合を考慮して、最短距離で追手門まで戻りました。

感想とかまとめとか

 というわけで弘前城だったのですが、一番印象に残ったのは城内の広さ。元々のお城の大きさはさほど大きくなかったとはいえ、現在も残っている部分が多いというか、四の丸なんて案内看板は、なかなかお目にかかれるものじゃ。もっとも、最初にスタンプやら天守やらで右往左往したお陰というのも多分にあると思うというか、その時はその広さが恨めしく思ったりしたのですが。それから、雰囲気も良かったですね。訪れた時間帯も良かったとは思うのですが、とても城内の落ち着いたというか、色々と浸れるというか。そんな中、蝉時雨を効きながらの散策は、とても良い感じでした。でも、今回は疲れや時間の関係などから端折ってしまった箇所も多いので、今度お伺いする時はもっと時間を掛け、ゆっくりと観たいと思うのですが、どの季節が良いですかね。紅葉、雪景色、新緑と、どれも魅力的だと思いますので。(でも、桜の季節は人混みが凄そうなのでご遠慮したいですが。)

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