たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

愛国駅交通記念館と幸福交通公園 【平成29年3月20日】

愛国駅交通記念館

 これまでの記事で再三書いてきたとおり、今回、帯広競馬場で行われた『第49回ばんえい記念』というレースのために帯広まで来たのですが、そのついでに立ち寄ったのが、だいぶ昔、「愛国から幸福まで」でブームとなった旧国鉄広尾線の愛国駅と幸福駅。

 実は、今を去る事30余年前、昭和60年代に入り国鉄広尾線の廃止が取りざたされた頃、その広尾線に乗った事があり、また、ブームとなった「愛国から幸福まで」の乗車券も、愛国駅で降りずとも帯広駅で購入できたので、まとめ買いしてそれをお土産代わりにした思い出があったりして。


旧国鉄広尾線と愛国駅・幸福駅について

 今回訪れた愛国駅と幸福駅、そしてその両駅があった国鉄広尾線について、ウィキペディアなどで調べたことを少々。

 まず旧国鉄広尾線については、一昨年、広尾線鉄道記念館を訪ねた時の記事でも書いたのですが、改めて簡単に記すと、元々は苫小牧と帯広の間を襟裳岬経由で結ぶ路線として計画され、昭和4年(1929年)から昭和7年(1932年)にかけ広尾駅までが開業。しかし、これ以上路線は延伸されず、昭和末期の国鉄再建法により廃止対象路線に指定され、昭和62年(1987年)2月2日をもって帯広-広尾間の全線が廃止となりました。

 その途中駅である愛国駅は、広尾線が最初に中札内駅まで開通した昭和4年に開業。ちなみに当地の愛国という地名は、北海道に多いアイヌ語由来ではなく、当地に「愛国青年団」という開拓団が入植した事にちなむそう。かつては相対式ホームを持つ列車交換が可能で、更には貨物側線まで有していたのですが、末期は片方のホームが撤去され1面1線の駅として使われていたとのこと。

 そして幸福駅は、昭和31年(1956年)に仮乗降場(駅と違って国鉄本社の承認では無く地方(鉄道管理局)の裁量で設置できる。)として設置され、同年中に駅に昇格。ちなみに、当地の幸福という地名は、当地を開拓した福井県からの入植者が、元々当地付近を流れるアイヌ語でサツナイと呼ばれた川からサツナイ村と名付け、幸震という漢字を充てたところ、次第にコウシンと呼ばれるようになり、更にその後、幸震には福井からの移住者が多いから集落名が幸福となったとのこと。余談ですが、愛国駅と幸福駅の間にあった大正駅は、元々は幸震(こうしん)駅として開業したそうです。

愛国駅交通記念館

 そんな愛国駅と幸福駅ですが、乗った列車がそれらの駅を通った事はあったものの、駅に降り立ったことはありませんでした。また前述のとおり、愛国駅から幸福駅の切符も帯広駅で購入したことが心にちょっとだけ引っかかっていたりして。なので、できれば再訪というか訪問したいと思っていたところ、今回、ちょっと時間を作れそうだったのでお伺いすることに。で、当初の予定では、帯広空港から帯広競馬場へと向かう道すがらどちらか1箇所、そして翌日、帯広空港に向かう道すがら残り1箇所に立ち寄るという計画を立てていたのですが、昨日は空港からまっすぐに競馬場へと向かってしまったため、この日2箇所立ち寄る事となりました。

 それで効率的に回るなら、帯広市内から帯広空港に向かう途中、愛国駅交通記念館、幸福交通公園の順で訪れれば良いのですが、他に寄るところの関係で、まず朝イチで愛国駅交通記念館へ行ってしまうことに。

【広尾国道を】
広尾国道を
 というわけで、朝食をいただいた帯広駅近くから国道246号、通称広尾国道を南下。15分程走ると札内川を渡るのですが、渡り終わったところの左手に小さく「←0.3km愛国駅」という看板が出ており、そこを左方向に入ってくと、行き止まりにそれっぽい建物が。

【駅前広場から見た旧愛国駅】
駅前広場から見た旧愛国駅
 で、ぱっと見、旧駅舎の左脇に屋根付きの建物が1棟と、更にその隣に公衆トイレが増築されているようです。

【元国鉄直営売店の車掌車】
元国鉄直営売店の車掌車
 駅前広場に面して朽ち果てようとしていたのは、かつて国鉄直営売店として使用されていたという、国鉄ヨ3500形車掌車。私が子供の頃、貨物列車の最後尾には車掌車というものが連結されていたのですが、昭和60年(1985年)に大部分が廃止となり、その車体が無人駅の駅舎などに利用されました。で、このヨ3500形は昭和25年(1950年)~昭和33(1958年)にかけて製造された形式で、ヨ4353(854両目に製造されたヨ3500という意味だったかと。)という番号がうっすら見えます。あと、この車掌車のお隣の売店では、「愛国から幸福まで」記念切符などが販売されていました。

【旧愛国駅舎(愛国駅交通記念館)】
旧愛国駅舎(愛国駅交通記念館)
【駅舎内部(1)】
駅舎内部(1)
【駅舎内部(2)】
駅舎内部(2)
【埋もれかかる構内図】
埋もれかかる構内図
 駅舎は綺麗な状態に保たれ、その内部は愛国駅交通記念館の展示スペースになっていますが、一面の壁には来場記念の名刺やら何やらがびっちりと。幸福駅駅舎に名刺を貼り付けるというのは知っていましたが、ここにも貼られるようになったんですね。でもそのお陰で、貴重な展示物が一部影響を受けていたのは正直残念でした。

【時刻表】
時刻表
【運賃表】
運賃表
  駅舎内に掲げられていた運賃表と時刻表。で、時刻表は1日6往復というところから晩年のものと思われるのですが、運賃表が謎。上り方面の隣駅である北愛国までは(営業キロで)4.3kmで、表中の運賃は70円。下り方面の隣駅である大正までは5.7kmで80円。現在の区分だと初乗りが1~3kmで、その次は4~6kmとなり、どちらも同じ区分(運賃計算時は端数のkmを切り上げ)になってしまうんですよね。あと、初乗り運賃から考えると、昭和51年(1976年)~52年(1977年)が60円だったので、その頃かな?とも思うんですが。それにしても、実家に取ってあった、昭和50年代(復刻版含めると昭和30年代)からの時刻表が処分されてしまっていたのは痛かったなぁ。(広尾線に乗車した時の北海道版もあったのに!)

【広尾方のホーム上から見た駅構内】
広尾方のホーム上から見た駅構内
【ホーム上の駅名標】
ホーム上の駅名標
【帯広方の線路上から見た駅構内】
帯広方の線路上から見た駅構内
 ホーム側は公園化されていて、そこには国鉄9600形蒸気機関車(19671号)が静態保存されていました。もっとも、まだ「冬季」だったので、その姿は残念ながらブルーシートで覆われていましたが。もっとも、シートが掛かっていないところから見えた保存状態は、屋根が無いにもかかわらず、かなり良さそう。よく手入れされているみたいですね。

幸福交通公園

【帯広広尾自動車道幸福IC出口】
帯広広尾自動車道幸福IC出口
 愛国駅交通記念館を訪れた後、一度帯広市内というか市街地に戻って六花亭本店らーめんみすゞに立ち寄り、そしてその後、今度は帯広空港に向かう途中、この旅最後の目的地となった幸福交通公園へ。で、今度は、広尾国道から帯広広尾自動車道の無料区間を通って幸福インターチェンジを下りると、そこから数分と掛からずに着くことが出来ました。

【駐車場から見た幸福交通公園】
駐車場から見た幸福交通公園
 で、こちらは愛国駅と違って元々がホーム1麺の無人駅だったためか、駅前広場ではなくちょっと離れたところに駐車場が整備されていました。

【建て替えられた駅舎】
建て替えられた駅舎
 幸福駅には元々、木造の駅舎というか待合室が1つあるだけでしたが、老朽化によって平成25年(2013年)に建て替えられました。またその後方というかホーム側には、幸福の鐘というものが設置されています。

【広尾方から見た構内】
広尾方から見た構内
【駅名標】
駅名標
 バリアフリー化によって、スロープでプラットホームに登れるようになっています。また、線路には廃止時まで走っていた国鉄キハ22形気動車も保存されていて、ここから見ると、駅に停車しているように見えますね。

【保存されている排雪用モーターカー】
保存されている排雪用モーターカー
【反対側から見た排雪用モーターカー】
反対側から見た排雪用モーターカー
 前の写真では丁度隠れていますが、帯広方には静態保存されていたのは、かつて除雪作業に使用されていたと思われる、排雪用モーターカー(通称:排モ)。錆がひどく、無造作に松の枝が置いてあったのがちょっと可哀想。

【保存されているキハ22 221】
保存されているキハ22 221
【キハ22 221の車内】
キハ22 221の車内
【車内に展示してあった当時の観光記念切符】
車内に展示してあった当時の観光記念切符
 そのお隣は、先程の写真に写っている国鉄キハ22形気動車のキハ22 221。キハ22形は、昭和32年から製造が始まった、国鉄の普通列車用気動車であるキハ20系の極寒地バージョン(ちなみに、普通列車用と言ってもキハ22形の一部は急行列車にも使用されました。)で、翌昭和33年から製造を開始。保存されている221号は昭和38年から製造された車内灯が新製時から蛍光灯になったグループですが、塗装色とか形式番号のロゴタイプとか現役時とは微妙に違うところも。(もっとも、色については写真だとあまり気にならないんですが…。)ですが、車内は、極寒地仕様ならではの板張り床に染みた油分が無くなっていましたが、形状的にはほぼ往時のままで、シートに座り、暫し昔を思い出しました。あと、車内に展示してあった当時の刊行記念切符は、かつて自分で購入した絵柄もあり、とても懐かしかったというか。

【保存されているキハ22 238】
保存されているキハ22 238
 駐車場から近い方にあるのが、もう1両保存してあるキハ22形のキハ22 238。こちらは、幸福駅開設60周年のヘッドマーク付きでしたが、反対側は割られてしまったのか車体下部のテールランプが埋められていました。


 というわけで愛国駅交通記念館と幸福交通公園だったのですが、こういう施設って、その場所に対しての思い入れによって、結構印象が変わるかなぁ、と。で、個人的には、懐かしい反面、どうしても失われた鉄道に対する寂しさが先に立ち、何ともいたたまれない気持ちになってしまうという。でも、こういうカタチであれ、ここにかつて鉄道があったことを示すものが残っていることについては素直に喜びたいと思いますし、それが観光地として賑わい続けてくれれば、廃止された広尾線も浮かばれるのかなぁ、と。積年の引っかかりも快勝されましたしね。(最後グダグダで申し訳ない。)

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