趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
高岡市内で富山ブラックをいただいた後、県境を越えて向かったのが、この日最後の目的地である、日本100名城のひとつ、七尾城です。
七尾城は、石川県七尾市にある、連郭式の山城。
もともと当地には、能登国の守護であった畠山氏が築いていた砦があったそうなのですが、その後、最初は山ではなく平地にあった守護所(行政府)も移され、また戦乱によって城としての機能や城域が拡充していき、戦国時代には城域が南北約2.5km、東西約0.8km、面積約200haにおよぶ日本でも屈指の山城となりました。ちなみに、七尾という地名は、この城のあった山の尾根が、松尾、竹尾、梅尾、鶴尾(菊尾)、亀尾、竜尾、虎尾と7つあったことに由来するそうで、現在もこの一帯は、(七尾)城山と呼ばれています。
ですが、「天宮」と称される程の威容を誇る七尾城をいただき、また山麓の城下町「千門万戸」は一里余りも連なるなど栄えた当地も、天正4年(1576年)、北陸地方へ勢力を拡大してきていた上杉謙信が、畠山氏内の政情不安に乗じて侵攻。畠山氏も期間にして1年ほど、2度に渡る籠城戦を行い抵抗しますが、最後は内応者が出るなどして天正5年(1577年)9月に落城、169年にわたる畠山氏の領国支配は終わりを告げました。
その後、七尾城には上杉方の城代が入るも上杉謙信の没後に発生した御館の乱らよって上杉氏が弱体化。それに乗じた織田信長の勢力によって城は奪われ、その後、天正9年(1581年)に信長から能登一国を与えられた前田利家が入城。しかし、山城は実用上不便ということで、天正10年(1582)から17年(1589)頃に、港に近い小丸山に新たな城が築かれると、七尾城は廃城となりました。
【能越道七尾城山IC出口付近】
そんな七尾城なのですが、今回の行程は前の記事であげた高岡駅近くのラーメン店から向かいました。なので、市内を縦断し、高岡北ICから能越道に乗り、氷見ICから先は昨年開通した区間だそうなのですが、そこを走って、そのものズバリのIC名である七尾城山(じょうやま)ICまで。
【七尾城歴史資料館】
【木(蹴)落川】
それでまずは、日本100名城スタンプラリーのスタンプをゲットすべく、城山の麓にある七尾城歴史資料館へ。そこでスタンプをいただいたあと、登城前に城主を務めた畠山氏のことや、二度にわたる七尾城の戦いの歴史をお勉強。で、資料館の前を流れる水路が実は木落川という河川で、蹴落川という別名があり、七尾城が落城した時には敗軍の兵が蹴落とされて川が血に染まったということを知りました。
【七尾城址登口】
【途中の山道】
【駐車場からの登城口】
スタンプとお勉強の後は、いよいよ七尾城へ。で、城山山頂部の本丸まで、資料館から歩いて登るのも個人的には魅力的だったのですが、本丸近くにある駐車場(本丸北駐車場)までクルマで一気に登ってしまうことに。途中から道幅が狭いワインディングロードとなるのですが、麓の登口から約10分で駐車場まで行くことが出来ました。で、この駐車場にボランティアガイドさんが待機していて、希望すれば解説付きで本丸まで一緒に登ってくれます。
【調度丸】
上り初めて最初に現れる曲輪が調度丸。その名前のとおり、武具(調度)が多数出土したそうで、そのためここで武装を整えたと考えられているとのこと。
【調度丸過ぎの石垣】
【石垣のアップ】
調度丸を過ぎると七尾城も本気出してくるというか、立派な石垣が出現。さすがに年代的に古いだけあってワイルドな感じですが、いかにも山城の石垣という感じがして良いですね。
【桜馬場】
【桜馬場と遊佐屋敷跡の間の石垣】
【遊佐屋敷跡】
石垣の間に設けられた通路を登ったところにあるのが、桜馬場と呼ばれる曲輪。写真だと後に植林された木ばっかりで何のこっちゃなんですが、東西約45m、南北約25mという大きさなどから軍馬の訓練に使ったと言われているのですが、実際はどうなんでしょうか。そしてそのお隣、本丸の直下にあるのが、七尾城守護代を務めた遊佐氏の屋敷跡と言われる曲輪。もっとも、二度目の七尾城の戦いの際に、色々あって遊佐氏は上杉謙信に内応しているんですがね。
【本丸石垣その1】
【本丸石垣その2】
【本丸】
【本丸から見た七尾湾】
【本丸を囲んでいた石垣の裏側】
【本丸を囲んでいた石垣】
それでいよいよ本丸なのですが、まずはそれを囲む石垣がこれまた見事。特に2枚目の写真の方は、何ともそそる苔むし具合ですね。そしてとうとう本丸にに登れば、ここから見た七尾湾の景気は絶景!もっとも、本丸北駐車場から見た方が、高さは本丸に較べ少々低いけど木が邪魔にならないので写真写りは良くなるんですがね。あと本丸内には、トップ画像の城址石碑や、城主であった畠山氏の子孫ご一行様登山記念石碑、そして、城山神社という祠と鳥居が有りました。また、入ってきたところとは別にもう1つ桜馬場方面への通路があり、そちらには本丸を囲んでいた石垣が残っています。
【温井屋敷跡】
【九尺石】
桜馬場の後、来た道を駐車場まで戻っても良かったのですが、折角なので残り体力と相談しつつ可能な限りまわることにして、そのお隣の温井屋敷跡と九尺石をば。で、温井氏は城主畠山氏の重心だったのですが、前述の遊佐氏と共に、二度目の七尾城の戦いの際、上杉謙信に内応。また九尺石は名前のとおり9尺もの大きさの巨石で、城の鎮護のかなめ石と言われているそうで。
【二の丸石垣】
【二の丸】
温井氏屋敷のお隣が、文字通り本丸に次ぐ拠点と考えられている二の丸。丁度尾根の分岐点にあり、温井屋敷跡からは標高が少々高くなっているのですが、その間にある石垣がこれまたシブくて良かったです。
【二の丸と三の丸の間の通路】
【二の丸と三の丸の間の通路から見える石垣】
【三の丸】
二の丸を跡にして、ダウンアップする通路をちょっと進むと、七尾城で最も大きい曲輪とされる三の丸に到着。で、その間の通路から山肌を見ると、幾重にも重なる石垣が見事だったりするんですよね。
【安寧寺跡】
【堀切】
【沓掛】
【樋(とよ)の水】
【石段と石垣】
このあたりで体力が尽きてきたので、三の丸の後は、安寧寺跡を通って、立派な堀切に感動しつつ通路の分岐点である沓掛で本丸方向に進路を取り、七尾城の水源と言われる樋の水と言われる今も涸れない水源や、本丸に近づくにつれ間近に現れる石垣を眺めつつ、本丸北駐車場へと。ちなみに今回、駐車場を出発してから戻るまでで(休み休み歩いて)1時間半ほどかかりました。
というわけで七尾城だったのですが、結構端折って観たにもかかわらず、古い山城を堪能することが出来ましたし、その堅固さも体感することが出来ました。ですがやっぱり、今回時間や体力などの関係で見逃した所も結構有るので、次は是非、それらを観つつ城山の麓から徒歩で登ってみたいな、と。
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