趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
もともと個人的には、廃止になり、場外馬券売場としても使用されていない競馬場に行く趣味はなかったのですが、グリーンチャンネルで放送された『競馬ワンダラー』という番組の影響もあって、今回、所用で大分県中津市を訪れることになったついでに、中津競馬場の跡地も訪れることにしました。
中津競馬場は、大分県中津市にかつて存在した地方競馬の競馬場。
元々、現在の中津市、当時の下毛郡大幡村に競馬場ができたのは大正13年(1924年)なのですが、昭和8年(1933年)に移転。昭和13年(1938年)には 「軍馬資源保護法」により一時廃場となったものの、戦後の昭和23年、(現行の)競馬法施行によって、地方競馬として競馬開催が再開されました。
その後、バブル崩壊後の売り上げ低迷などの理由によって他の地方競馬場同様に赤字が増えてしまい、その改善策として平成12年(2000年)からは佐賀県の佐賀競馬場、熊本県の荒尾競馬場とも開催日程の調整や重賞の統一格付けの導入など連携を強化していた矢先の平成13年(2001年)、当時の市長によってその累積赤字(20億円以上とも)を理由に突如廃止になってしまいました。その手法やその際の混乱、また関係者が被った損害などについては、私のような部外者がネットで調べたことだけに基づいて軽く言えるようなものではないのですが、結果的にこれをきっかけとして、全国的に赤字の地方競馬場を廃止する動きが広がってしまいました。
そして、廃止となった跡地には、隣接する大貞公園と一体的に大貞総合運動公園が整備される事が決定し、平成20年(2008年)には、中津市総合体育館が完成しました。
【羽田空港で出発を待つJAL371便】
【中津に向け走行中】
というわけでメインの用事の前日である(平成24年)9月29日の土曜日。今回は羽田空港から、旅程の関係などで北九州空港へと飛び、空港で予約していたレンタカーをゲット。でも、一路中津には向かわずにとりあえずは福岡市とその周辺のかねてから寄ってみたかった箇所をいくつか巡った後、午後になってようやく、中津に向け進路を取りました。
【大貞総合運動公園の案内図】
それで、カーナビを頼りにその跡地に到着したのは午後4時をだいぶ回った頃。で、その跡地は現在、大貞総合運動公園として整備されている真っ最中なのですが、部分的には立ち入れるところも多いようなので、クルマでちょこちょこ移動しながら見て回ることに。
【厩舎団地入口】
【厩舎団地入口の看板】
まずは上記の案内図で左側の「整備予定地」と書かれているエリアから。ここは以前厩舎団地になっていたところで、立派なその入口とそこに掲げられた看板は残っていました。
【競走馬之墓と松隈又五郎翁之像】
競争馬のお墓と銅像が寄り添うように建っています。で、お墓には近くに咲いていたであろう彼岸花の他、まだそんなに古くなっていないリンゴがお供えしてありました。それと銅像の松隈又五郎さんですが、福岡県飯塚市出身の福岡県議会議員で、戦後、中津競馬場が経営困難に陥った際、私財を投じて援助されたとの由。
【入口付近の外周ブロック塀】
【うち捨てられた告示看板】
入口付近の、厩舎団地外周のブロック塀のところには、平成9年度より競馬開催日の厩舎団地には関係者以外立入禁止となった旨の告示看板がうち捨てられていました。
【入口付近から奥へと続く道路】
【厩舎団地内部】
この道路は厩舎団地があった頃からのものですかね?(ただし、舗装はしていなかったと思われますが。)それと、内部にはやたらと木が生えていたのですが、厩舎を壊した後に植栽したものでしょうか?
【西端の外周ブロック塀】
【ポンプ小屋?】
ブロック塀の向きから、道路は元の厩舎団地内に作られた事が判るかと。また、この付近は一部が有刺鉄線付きのネットフェンスで区切られていました。
【南端付近の外周ブロック塀】
【南端付近の入口跡から厩舎団地内部方向を望む】
厩舎団地は北北東から南南西方向に長細い形をしていたのですが、こちらはその南端付近と思われる場所。そこから内部を見ると、整備工事の際に出た残土っぽい土砂が再利用すべく仮置きされていました。
【ダイハツ九州アリーナ】
厩舎団地跡をひととおり見た後、今度は中津競馬場の建物やコースが有ったあたりを見るべく戻ってきました。で、写真のダイハツ九州アリーナは、厩舎団地と競馬場の間、駐車場だったところに建っているようですね。
【スタンド跡地?】
地図などから考えると、このあたりがスタンド跡かなぁ、と。っていうか、スタンドにしてもコースにしても、現在はほとんど痕跡が残っていないというのが、何とも。
【水路】
馬場も痕跡を見つけるのは困難で、馬場内を含めても、以前から有ったと思われる水路くらいしか遺構は見つからず。ちなみに、馬場内は利用されているところ以外は草ボーボーになっていました。
【馬場内のスーパー】
【馬場内のホームセンター】
馬場内にはスーパーやホームセンターが出来ています。で、ホームセンターの方は、敷地の一部が向正面から第3コーナーにかけてのコース上にかかっていて、第3コーナー入口の微妙なカーブが判ります。
【向正面跡】
写真は、向正面の途中あたりから第2コーナー方向を見たところ。左の一段高くなっているところが競馬場跡。で、元々、向正面外側の外周に沿って道路があったのですが、よく見ると歩道が真新しいので、そこは競馬場敷地だったところを使って後付けしたんですかね。
【コース内側の池】
第1コーナーから第2コーナーにかけてのコース内側にあったであろう池は、当時の形状を保っているかは不明ながら、周りに柵がかけられ残っていました。
【第1コーナーから第2コーナーにかけてのブロック塀】
今回見つけることができたコース部分で唯一と言って良い明確な遺構が、大幡コミュニティーセンター付近にある、第1コーナーから第2コーナーにかけての外周ブロック塀。ちなみに、以前、本などで見たものとは色が変わっていました。
それで、1時間以上かけて中津競馬場跡地を探索していたのですが、日も暮れてきたのでここら辺で引き上げることに。最後に、前述のスーパーに寄って、その日、ホテルの部屋で飲む時にいただく(余談ですが、元々、名物の唐揚げテイクアウト店で持ち帰りして部屋で飲む予定でした。)当地ならではのつまみを購入してから帰りました。
というわけで中津競馬場の跡地だったのですが、行く前から予想していたこととはいえ、かなり切なかったです。自分的に縁もゆかりもなかった競馬場にもかかわらず、わずかに残る往時の痕跡を見つける度、ここに沢山の馬と人たちが暮らし、そして走っていた頃を偲ばせ、そしてそれが全て失われてしまった現状を、いやという程突きつけられました。
昨年も荒尾競馬場が廃止され、そして現在も全国で、廃止の危機に瀕している競馬場がいくつもあるのですが、今後廃止になる競馬場を1つでも減らしたいですし、その為には、競馬ファン一人一人が馬券を買ったり、手段を持つ人はその良さを一人でも多くの人に知ってもらい競馬場に来てもらうという、自分に出来ることを今後も最大限続けていくしかないんですよねぇ。(それでも、駄目なものは駄目だったりするだろうし、そうなったら自分の非力さにうちひしがれるのですが。)
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