趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
北海道に来て2日目。門別競馬場にほど近いところにある宿から向かったこの日最初の目的地は、新ひだか町というところにある畠山牧場。ここに、平成9年(1997年)の有馬記念を制したシルクジャスティス号という元競走馬が繋養されているんですが、私、そして私以上に相方が好きでして。
シルクジャスティスは、平成6年(1994年)3月18日生まれの栗毛馬。父は、当時、サンデーサイレンス、トニービンと並んでビッグ3なんて呼ばれた大種牡馬ブライアンズタイム。母ユーワメルドの父は、フランスのG1グランクリテリウム(現在のジャン・リュック・ラガルデール賞)などの勝利を挙げたサティンゴという血統で、生産は、ビワハヤヒデ、三冠馬ナリタブライアン、マーベラスサンデーなどといったG1ホースを多数輩出した名門、早田牧場新冠支場。馬主は有限会社シルク。調教師は、先述のナリタブライアンなど多数のG1ホースを管理した大久保正陽と、ここまで読む限りは、良血のエリート馬っぽく感じるかもしれません。
ですがこのシルクジャスティス。現役時代を知っている方はご存じだと思いますが、良血のエリートどころではない超個性派だったんです。ここからは報道や他媒体で知った話ですので本当のところは解りませんが、大久保厩舎に入厩当時から気性がとても悪く、まともに調教が出来ないほど(人を乗せたがらない。気が向かないとテコでも動かない。調教助手を乗せても振り落とそうとする。極めつけは競馬を覚えない、覚えようとしない。)だったそうです。
それでも何とか3歳(現在の2歳。当時は数え年表記。以後、年齢は旧表記。)秋に芝の1200m戦でデビュー(ちなみに、この時の鞍上は武豊!)を迎えることなったのですが、12頭立ての11着に敗れ、その後も成績は低迷。更にはこの頃、馬房の天井に謎の穴を開ける(状況からしてシルクジャスティス本人が開けたとしか思えない)という事件を起こしているそうで。ですが大久保調教師をはじめとする陣営はこの馬に大いなる期待をしていたようで、4歳春にダートの1800m戦で初勝利を挙げると、中1週で重賞(G3)の毎日杯に出走させました。そこで勝てばクラシック1冠目のG1皐月賞に出走出来きるとの目論見だったのですが、惜しくも3着に敗れ出走はならず。G1日本ダービーを目指すことになりました。
それでオープン特別の若草ステークス、G3の京都4歳特別と連勝して臨んだ日本ダービーは、皐月賞馬サニーブライアンにわずか届かず2着。その後夏場は休養し、秋初戦のG2神戸新聞杯は8着に破れるものの、次のG2京都大賞典でG1オークスやG1エリザベス女王杯を制した名牝ダンスパートナーを破り、1番人気で臨んだクラシック最終戦のG1菊花賞では、スローペースと最終コーナーの不利に泣き5着に破れてしまいます。で、陣営が次走に選んだのがG1のジャパンカップ。ですがここでも最終コーナーの不利に泣き、5着に敗れてしまいました。そして陣営が次走に選んだのが、その年の中央競馬の総決算、グランプリ有馬記念(G1)。京都4歳特別から鞍上を務める藤田伸二騎手共々、相当期するものがあったらしいのですが、ここでマーベラスサンデー、エアグルーヴといった並み居る強豪を退けて見事優勝を遂げ、ようやくG1ホースの仲間入りを果たしました。
しかし翌年。初戦に選んだG2阪神大賞典こそ2着したものの、次戦、1番人気で臨んだG1天皇賞(春)では4着に敗れてしまいました。その後も馬券に絡むことなく破れ続けてしまい、更には、その翌年の天皇賞(春)の4着で前年とは同じ順位とはいえここで復活の手応えを掴みかけたと思ったものの、その後故障が判明して休養に。その翌年、復帰初戦に選んだG2金鯱賞で殿負けを喫したのを最後に、引退することになってしまいました。
その後、種牡馬入りしたシルクジャスティスですが、産駒になかなか活躍馬が出ないという状態が続き、ようやくバシケーンが障害レースのG1、中山大障害を勝ったのですが、その時には既に種牡馬を引退していたという…。
その他にも、同じ厩舎の同期だったエリモダンディーとの話など、そのエピソードは枚挙に暇が無いのですが、これを書くに当たって改めてその蹄跡を辿ってみると、ほんと、愛すべき個性派というか。
そんなシルクジャスティス号ですが、種牡馬を引退した後、現在は冒頭にも書いたとおり、新ひだか町の畠山牧場に繋養されて余生を送っています。それで元気なうちに(今年で21歳なのですが、サラブレッドではかなりの高齢になります。)是非とも一度逢いたかったのですが、今回の北海道旅行で、ようやくそのチャンスに恵まれました。
で、ここでひとつ大事なことなのですが、引退した競走馬とはいえ、繋養されているのは一般の牧場なので、逢うためにはそれなりの知識やマナーが必要になってくるということ。幸い、(公社)日本軽種馬協会が『競走馬のふるさと案内所』というのを運営していて、そこで色々なことを教えてくれますので、事前に公式サイトをチェックした上で、そこの日高案内所に電話。連絡先などを教えて貰った上で、お伺いする予定の前日に改めて畠山牧場さんに電話したところ、快く見学を承諾していただきました。
【沿線の牧場】
【道道111号を行く】
【静内ダム】
というわけでこの日、日高町の宿を出発。太平洋に沿って走る国道235号を走行し、旧静内町で北海道道71号平取静内線に入り、更に道なりに進むと途中から北海道道111号静内中札内線に入るというルートで牧場へと向かったのですが、途中、さすがは馬産地日高というか、沿道はサラブレッドの牧場が沢山有り、それだけでテンションが上がってきます。で、順調に走りすぎて約束の時間より早く着いてしまったので、一度畠山牧場をスルーして静内ダムまで来てしまったのですが、丁度放水が始まろうとしているところで、サイレンがけたたましく鳴り響いていました。
そして良い時間になったので来た道をとって返し、畠山牧場さんに到着。クルマを停め、事務所に挨拶しようとしたところ、丁度、(失礼ですが)わりと年かさの方が出てきて、「見学の方ですか?」と、大変気さくに話しかけてくださいました。で、その方の話によると、シルクジャスティス号は、ちょっと離れた分場に繫養されているそうで、すぐにクルマで案内してくれるとのこと。その方の軽トラに付いて行くと、見覚えがあるというか、先程通過した時、妙に存在感のあるお馬さんがいるなぁ、と思って見ていた馬が、そのシルクジャスティス号でした。
【近寄ってきたシルクジャスティスさん】
【飽きたので去って行くシルクジャスティスさん】
【「なんだっつってんだい?」とこっちをチラ見するシルクジャスティスさん】
分場にクルマを停め、放牧地の柵沿いまで近寄ってその方が「ジャスティ~ス!」と呼ぶと、遠くの木陰で休んでいたシルクジャスティス号が、こちらに近づいて来ました!で、その姿は、だいぶお年は召したものの、ずんぐりぼてっとした体型や、仕草から滲み出るキャラクターは昔を思い出させますね。
というわけで、それはもう、感動のご対面というか、元気な姿を近くで見られただけで感無量だったのですが、おまけに一緒に記念撮影までしていただき、本当にありがとうございました。また、シルクジャスティス号も、元気そうだったのと、親切な牧場の方に良くして貰っているようで、とても安心しました。いつまでもお元気で!
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